母・明子さんと(写真提供:菊田さん)

次兄と母の同居の解消を決め、私が母の介護をすると決めてから、地域包括支援センターを始めいろいろな場所に顔を出し、地元でのネットワークを広げていきました。

特に遠距離の場合、地元で介護にまつわる仕事をしている知人を見つけるのは、すごく大事なことだと、実感しています。

直接の知り合いにはいなくても、何人かたどれば「誰々の妹さんが介護施設で働いている」「あそこの事業所は評判がいい」といった情報が集まってくる。

若い頃は医者と弁護士が《持つべき友》だったけれど、これからはケアマネ、施設長、看護師ですね。(笑)

地元のネットワークやおミズのアドバイスをもとに、いくつかの施設を見学し、海沿いに新しくできたケアハウスにお世話になることにしました。

後編につづく

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