今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『母の最終講義』(最相 葉月 著/ミシマ社)。評者は書評家の中江有里さんです。

介護とともにあった自身の半生を振り返って

年を重ねると、人はこれまでの人生や経験を俯瞰するようになると思う。

本書はノンフィクション作家によるエッセイ。著者は脳出血の後遺症がある母を20代から遠距離介護していたが、20年以上経って、がんを患った父の介護も担うことになった。

子ども返りしていく両親を前に、窒息しそうな自らの心を俯瞰する著者。父はヘルパーを見つけ、自分の葬儀場の手配も済ませたが、待ち受けるのは医療の進歩による長すぎる「余命」。

母が脳出血で倒れた年齢を自分が迎える前に、母を東京の介護ホームへ呼び寄せた。言葉にならない心のやり取りが続く介護の日々。ある時考える。この日々はやりたいこともできず、人の世話になるばかりの人生を送る母からの教育だったのでは、と。そして俯瞰の視線は、もっと心の奥へと深まっていく。

そのひとつは心のケア。災害被災者や病で苦しむ患者、事件被害者の傷ついた人々のケアに触れながら、ケアとは「してあげる/してもらう」という関係になってしまいがちであることに気づく。そのことを案じつつ、自らの経験から、その関係を乗り越えることができると示唆する。

著者の代表作といえば『絶対音感』。「絶対音感」は幼い時に獲得する音の高さを絶対的に認識する能力を指すが、対して「相対音感」は直前に聴いた音に対して、次の音が高いか低いかわかる能力のことを言う。

一部の人しか持たない「絶対音感」と違い、多くの人が持ちうる「相対音感」については意識してこなかった。しかしよりよい人間関係に欠かせない能力として、本書の端々で「相対音感」は響く。

人は年を重ねながら、相対音感を磨いていけるとよいのだろう。旅先、取材相手、可愛がっている猫……相対する対象は違っても、著者の筆は一篇ずつ違う和音を奏でるよう。

読みながら、そのメロディに揺蕩っていた。