人を照らす「光」になりたくて
何かを無心に愛したい、信じたい。
罪なき欲望から、人生が思いがけない方向へ転がっていく。最後まで展開が読めない衝撃作だった。
ハウスクリーニングサービスで働く主人公・高岡紅(べに)は、依頼主の気持ちを汲みながらゴミに埋もれた部屋を片付ける。客からの評判は上々だが、待遇や部下との折り合いの悪さに悩まされていた。
やがて母・奈津子にたきつけられて独立することに。母の愛人・幸村のアドバイスを受けて起業し、親しい客の勧めで「開運お掃除サービス」を立ち上げた。
紅は掃除で運を開くメソッドを広め、ネットで話題になる。掃除で運がよくなる、その教えは悩み多き人に響いた。紅がこれまで見てきた汚部屋の主の多くはメンタルに支障をきたしていた。
掃除しながら悩みを聞き出すことで、客の心を癒やした経験が彼女を神格化したのだ。ブログの書籍化、オンラインサロン開設、メディアでも紹介される存在で、まさに掃除界の「カリスマ」となった。
しかし短期間に祭り上げられたカリスマは、教え子たちのメソッドの曲解によりあっという間に転落する。これまで自分を信じ、崇めてくれた人々が次々に離れていく恐怖。読みながら足元が一気に崩れていくようだった。
誰かに愛されたい、認められたい……。「承認欲求」は信じるものが欲しい思いの裏返し。これまで裏切られたり、信じられなくなったりしたことがあるからこそ、何かを信じたくなる。たとえそれが出鱈目であっても。
紅は人を照らす光になりたかったのだろう。同時に光を求めていた。光とは愛だった。
どの世界でも強烈なリーダーやカリスマがウケるのは、自分自身を信じられない人が多いからかもしれない。「わたしなんか」と謙遜するのは、自信のなさではなく、認められたい証。過大でも過少でもなく、等身大の自分でいるのは、案外難しい。
物語のラスト、紅を包む光は優しかった。