生々しくも、自分を偽らずに生きる美しさ
恋愛は大きな喜びや幸せをもたらすが、同時に苦しみや悲しみも伴う。
前者の感情だけならいいのに、そういかないのは相手の感情との行き違いがあるからだ。
出版社勤務の51歳、独身の愉里子(ゆりこ)は、男性とのかりそめの恋を「花摘み」と呼んでひそかに愉しんでいる。
愉里子にとって「ちょっと寝てみたい」と「好き」は別物。だから「花摘み」に何の結果も期待しない。男性の方が過剰に入れ込んできたら、距離を置く。
つまり恋愛のいいところだけを味わい、見返りを求めない。そこが「花摘み」の良さ。そんな彼女が、趣味の茶の湯を通じて知り合った70歳の万江島(まえじま)と恋に落ちた。
中高年の恋は、若い時と同じようにはいかない。性愛も年齢相応の障害がある。
さらにはへバーデン結節、多汗といった更年期症状にも襲われる。50代の現実は容赦ない。
本来、恋愛は当人同士の問題で自由なはずなのに、私たちが愉里子の「花摘み」に怖さ、後ろめたさを覚えてしまうのはなぜだろう。
彼女を「みだら」「好色」と断ずるのは簡単だ。でも読み進めていくと、違った印象が浮かんでくる。
そもそも恋愛はわがままなものだ。自分の気持ちや欲望を、世の常識や固定観念よりも優先する。相手を縛らないという意味で「花摘み」は恋愛より罪はないのかもしれない。
後半、愉里子の勤める出版社でセクシャルハラスメント問題が持ち上がる。万江島との関係も並行して進む中、親の介護も差し迫ってくる。
独りを選んで生きていくにしても、社会、家族の問題と無関係ではいられないし、先の人生、何の愉しみもなく生きていくのはさみしい。どんな人生にも正解はないのだと思う。
生々しいけど、品性は失わない。しっとりと肌に馴染む絹のような文体に魅せられた。