伊藤 《生》そのものにはよし悪しはないけれど、「よりよく生きたい」と願うのも人間かな、と。私は、それは結局「自分らしく生きる」ことだと思うんです。「私は私」ということを突き詰めていくと、すごく自分本位な感じになるんですけど、それでいいんじゃないか。こんなことを言うと、シスターに叱られるかもしれないけれど。

鈴木 いえいえ、私も同感です。「よく生きる」とは、命が与えられていることに感謝しながら、一人ひとりバラバラの個性を大事にして生きることだと、キリスト教でも教えています。

伊藤 でも、それを難しいと感じる人も多いようですね。

鈴木 きっと、「自分らしい」ことすら「よくないとダメだ」と決めつけているからじゃないかしら。人は、よくありたい、美しくありたいと思って生きていますが、それは、恥ずかしい姿、見苦しい姿はできるだけさらしたくないという気持ちの裏返し。そうした裏の部分も含めて自分自身なのだと、しっかり認めることが大切です。誰の命もすべて尊いのですから。

伊藤 生きているだけでOK、ということですよね。

鈴木 はい。たとえば子どもが病気や大けがをした時に、「有名な大学を出て、立派な会社に入ってくれ」と言う人はいないでしょう。 「生きていてくれ。それだけでいい」と言うのではありませんか。

伊藤 私自身、親のことを放ったらかしてアメリカへ行ったりして、常に自分本位で生きてきた。そうできたのは、親は私が幸せになるのが何よりの喜びに違いない、という確信を得られていたからかもしれません。

鈴木 素敵なご両親だったのでしょうね。