(c)今日マチ子(秋田書店)2010

武田 今回対談のお話をいただいて、今日さんのブログを拝読しました。『cocoon』の取材地をもう一度めぐる記事で、「私はこの年月のあいだ、ずっと緊張し続けていた」と書いてあるのに共感して。それは、作品の責任をひとりで負うことへの緊張感だったのではないかと。

今日 戦争を描くことの難しさ、緊張感はありますよね。戦争体験者でも現地の人でもないので、「お前には語る資格がない」と決めつけられてしまう。それに、自分が扱ったテーマには、実際に亡くなった人がいるという事実があることも重い。描き終えたあとも「もう過去の作品だから」とないがしろにできず、ずっと大事にケアし続けなければなりません。

それに、虚実のバランスがとても難しくて。私の漫画はあくまでもフィクションですが、どこまで史実に基づくべきか、読者によって許容できるラインが違いますから。

武田 証言にないことを書いていいのか、その判断も悩ましかった。証言は残っていないけれど、全体を見渡せば確実にあったと思われる出来事は、今日さんも描いていますよね。

今日 証言第一主義になると、そこから一歩も動けなくなります。だから証言にあたり、そこからフィクションにジャンプする。ただ、それが難しくて……。

武田 僕は「こう描いたほうが作品にとって意味がある」と感じたら、証言がなくても描きました。ですが、自分が描いたことが正解だとも思っていません。

今日 本に描かれたことはすべて正しいと思い込んでいる人もいますが、そうではありませんよね。『ONE PIECE』で描かれているのは架空の出来事だと理解できるのに、どうして戦争ものは全部事実だと思ってしまうのか、とても不思議で。それに、戦争漫画というだけで「テーマは反戦」と銘打たれることはないですか?

武田 あります。取材でも「今、ここで『戦争反対』と言ってほしいんだろうな」という圧を感じて困ってしまうことも。今、戦争漫画に挑む作家の多くは、イデオロギーを伝えるために描いているわけではないのに。