「弟はまだまだ未来がある年齢だけど、父は人生後半。私が守っていこうと思ったのです」

母が亡くなって距離が生まれて

30代になり、私は父が経営する芸能プロダクションにスタッフとして入社。しばらく修業した後、父のマネージャーをつとめることになりました。それで父の俳優としてのすごさを知ったんです。マネージャーとして自信をつけた頃に開を父よりも大きく育てたいと思い、自ら担当しました。実際に仕事も増え、開は力をつけていきました。

開には、父譲りのエキセントリックなところがあります。父と開は性格的に似ているからこそ、葛藤や衝突が生まれやすい。父と息子、同性ゆえの難しさもあるのでしょう。

エキセントリックな役者2人を見ることは無理だと判断した私は、父のマネージメントに専念することに。弟はまだまだ未来がある年齢だけど、父は人生後半。私が守っていこうと思ったのです。父は、母とつくった事務所を母と弟に譲り、父と私で新たに事務所を立ち上げました。

母は「俳優・宍戸錠」を尊敬していたし、家庭を壊したくないという思いがとても強かった。私にはそんな母の気持ちがわかるし、父と母の関係も理解できます。でも弟たちは、違うのでしょうね。息子にとって母親は特別な存在で、母親をひどい目に遭わせた父親を許せない思いもあるのかもしれません。母ががんになると、弟は離婚届を持ってきて、母に渡したりもしていました。

それでも母がいた頃は、母を軸になんとか宍戸家はまとまっていました。母が亡くなって、距離が生まれていったのです。父と私は、開とも下の弟とも、この数年ずっと会っていません。父には父なりの、息子たちへの厳しい思いがあった。詳細は墓場まで持っていくつもりです。

ただお話しできることは、開は役者として、一度も父から認めてもらったことがないということ。父は弟に「宍戸錠の息子」としてではなく、心理学的にいうところの「親殺し」をして、いい役者になってほしいと願っていた。そのために、親子が断絶してもかまわない。それが、不器用な父なりの愛情だったのだと思います。

開にはこの後、手紙を書いて私の思いを伝えたいと思っています。父のお別れの会も開くつもりですが、開はそこには立ちません。「宍戸錠の息子」を脱し、父を越えていってほしいというのが、私の願いです。