悪役スターの破天荒な私生活
母は亡くなる前に、父のことを「俳優・宍戸錠のまま死なせてね」と私に託しました。父もまた、私と夫に「もしもの時は、おまえたちだけで(葬儀を)やってくれ」と言っていたんです。ですからごく身内だけで密葬にしました。
本当はすべてを終えてから父の死を公表するつもりでしたが、どうやら警察から情報が漏れたみたいで……。「宍戸錠死去」というニュースが21日に流れてしまったのです。
3歳下の弟で俳優の開と、5歳下の弟には葬儀を終えてから手紙で報告するつもりでしたが、報道を見たのでしょう、開から共通の友人を介して連絡がありました。それは、子どもたち3人で見送りをしようというメッセージでした。でも、その時にはすでに葬儀を終えていたこともあり、「そんなことは気にせず、自分の仕事をしなさい」と、友人に開へのメッセージを託しました。
なぜ父が亡くなったことを、すぐに弟たちに連絡しなかったか、不思議に思う方も多いかと思います。でもこれも結局は、我が家が“普通ではない”家族だったからです。
父はご存じのように、悪役スターとして一時代を作った俳優です。私生活も破天荒で、とにかくエキセントリック。無頼でしたし、女優だった母と結婚した後も女性関係はダイナミックでした。
役者には、役を引きずる人と、役と自分を切り離せる人と2種類いると思います。父は不器用な人で、役のまま、生きてしまう。家に帰ってきても殺し屋の気配をまとっているんです。大袈裟ではなく、いつ殺されるかと思うほど怖かった。
テレビでコミカルな役をやると、家でも楽しげな雰囲気なのですが、いつ豹変して爆発するかわからない。夫婦喧嘩も、まさにハードボイルド。父が母に手を上げることもあり、私はその様子を弟たちに見せないよう、必死でした。
今でもはっきり記憶しているのは、幼い頃、「パパとママが別れたら、私はママを殺す。私を殺す人にしてもいいの」と母に言ったこと。家族を壊したくない一心でした。幼い子どもがそんな言葉を発するほど、「オトナ」にならざるをえない家庭環境だったのです。
中学2年か3年の頃、男子校の生徒たちと渋谷の喫茶店に行き、帰宅が7時くらいになったことがありました。珍しく家にいた父は、「今、何時だと思ってるんだ!」。そこまでは普通の父親と同じですが、そこからが違います。「そんな時間に盛り場にいたら、マフィアにつかまり縛られて、ドラム缶に詰められ、香港に売り飛ばされるんだぞ」と怒鳴るんです。しかも、あの迫力のある声で。映画の世界と現実の境目がないんですね。
父にそんなことばかり言われるので、だんだん私は言葉に取り込まれていき、自分は暗黒街的な人生を歩むしかないんだという感覚になり……一時期、悪い道に行きかけたこともありました。