「おまえのがんは大丈夫なのか」
2010年に母が亡くなった後、父はずっと一人暮らしでした。13年に実家が火事で焼けてからはマンション住まいに。この数年は近所に住む私が週に2、3回、食事を届けに行き、身のまわりの世話をしていました。週に1度は私の家族と食事をともにして。夫は父の事務所に所属する俳優で父のお気に入り。昨年、里子として我が家に迎えた幼い息子とも、父はよく遊んでくれたものです。
1月17日金曜日、その日も私はいつものように、父のマンションに3日分くらいの食事を届けに行きました。その際は、とくに体調が悪そうな様子はなかった。
ただ、日曜日になって夫が、「先週食事をした際、ちょっと息が苦しそうだったよね?」と言うのが気になって。私は配膳に忙しく、父の変化には気づかなかったのですが。
そこで翌日、息子と父のところを訪ねたら、リビングにうつ伏せに倒れていたのです。その倒れ方が──息子がバーン、バーンと言いながらピストルを撃つマネをすると、「うぅっ」と言いながら、倒れ込んで死ぬ演技をする。その時とそっくりでした。
いつもはしばらく死んだふりをして、「ハハハ」と笑いながら起き上がるので、そのパターンだと思ったのでしょう。息子が駆け寄って「じぃじ」と声をかけましたが、起き上がりません。私は父に近づき、触った瞬間、わかりました。もう終わっているんだな、と。
一方、そんなはずはないという思いもありました。仰向けにしたら薄目を開けたような状態だったので、起き上がるかもしれない。なにせ父は、“普通ではない”人でしたので。
私は「こういう時、どうするんだっけ。119番? 110番?」と頭が混乱して。父の家が全焼した記憶も蘇ってパニックに。具合が悪くなり、夫に連絡をして来てもらいました。
ようやく落ち着いてきて119番に電話し、救急隊と警察の方が来ました。一見して事件性はないとのこと。ですが、自宅で一人で亡くなったら検視を行うのが決まりだそうで、父は運ばれていきました。翌日、虚血性心疾患で18日に亡くなっていたという見立てが。
また、監察医の方から「首にしこりがありました」と言われました。しこりがあるなんて、まったく知らなかった。ただ思い起こすと、ここ3ヵ月くらい、家の中でも首が隠れるようなジャケットを着ていたんです。もしかすると、私に知れると病院に連れていかれると思って、隠していたのかもしれません。
そういえば亡くなる1週間ほど前、唐突に「おまえのがんは大丈夫なのか」と言うので、驚いた記憶があります。妊娠中の私に子宮頸がんが見つかり、子宮摘出手術をしてわが子を失ったのは、もう20年も前です。「治っているから」と答えると、「そうか、治っているんだな」と。あの時、何か言いたかったのかもしれませんが、今となってはわかりません。
数週間前には、「そろそろ、オレもちょっとヤバイかな」と言いました。私は「歩けるし食べられるし、普通にこうやって話せるんだから、大丈夫だよ」と答えて──「もしこの先、寝たきりになっても、私はパパを老人ホームには入れない。最後まで面倒みるね。でも、お風呂はヘルパーさんに手伝ってもらおうかしら。そういうのはイヤ?」と聞いたら、案の定「イヤだ」。でも、まだまだ先の話だと思っていました。