義母からは「この家ではね」と三浦家の決まりのようなものをたくさん教えてもらいました。世間を知らないまま結婚したので、教えることは山ほどあったと思いますが……。
「ご自身のことは『アタシ』ではなく『ワタクシ』とおっしゃい」と言われた時は、さすがに「『サザエさん』の時代じゃあるまいし」と思い口答えしました。(笑)
私たち夫婦は名古屋で暮らしていたので、太郎の実家で過ごすのは夏休みと冬休みくらい。三浦家にいる女性は、作家活動で多忙な義母を始め、お手伝いさんやスタッフも含めて全員働いている。何もしていない主婦の私は、どこか肩身が狭かったです。
私は「書く」ことが好きで、結婚前は小説のようなものを書いたりしていましたが、作家を両親に持つ人と結婚したからにはもう書いたりしてはいけないと思っていました。
でも結婚2年目に息子の太一が生まれ、心が高揚している勢いでエッセイを書いて賞に応募したところ、佳作をいただけて。夫には内緒でいろいろ書くうちにバレてしまい……。また別の賞を受賞した時には、義父が「表彰式に着て行きなさい」と、服まで買ってくれました。
そのうち出版社からエッセイの依頼が来て、本を出すことに。義母にゲラを見せると、間違っているところはビシッと指摘してくれ、その後「でも、この会話の展開は、私には書けないわ」と褒めてくれた。私のことを息子の妻としてではなく、ひとりの女として見てくれていたのだと思います。