伊藤 私は「死」に直面したことがないのが、詩人としてコンプレックスでした。戦争は経験してないし、祖父は家で死んだけど祖母は病院で死んだ。その後は親戚も知り合いもみんな病院で死んでいく。死が身近になかったんです。
それで親が老いた時、「死」に興味がわいていろいろな人に聞いてまわり始めました。作家の石牟礼道子さん、宗教学者の山折哲雄さん、作家の瀬戸内寂聴さん、詩人の谷川俊太郎さん。「死ぬってどんな気持ちですか?」と聞くのが趣味のような人間です。
鈴木 すばらしい方々に直接「死ぬ」ことについて聞いてみて、いかがでしたか?
伊藤 う~ん、結局よくわからないですね。「人は死ぬ」という結論が出た、みたいな感じです。
鈴木 人は、いつまで生きられるのか自分でもわからない。だからこそ、本当は常に「死」を思っていたほうがいい。そのほうが、「今、ここで生きている」ことを大事にしようという気持ちになりますから。
伊藤 それ、善導(ぜんどう)という7世紀の中国のお坊さんも言ってますよ。まだ若くて元気なうちから「死」のことを考えておけ、って。普通、人は考えませんけどね。
鈴木 「どうせ死ぬんだから」と口で言いながら、本心ではそう思っていない。
伊藤 なんで、死ぬ間際まで自分が死ぬっていうことを考えないんでしょう。
鈴木 人間は、「生きる」ことが一番うれしく、楽しいからです。
伊藤 ですよね。頭の中のどこかでは「死ぬかもしれない」という思いがあっても、抗うんですよ。この間、親友の料理研究家・枝元なほみが死んで。70前だったし、病気だったから、まだ生きたかったと思う。だから抗ってました。「まだ復活する」って。
谷川俊太郎さんは90歳を超えていたので、死にも生にもこだわりはなくなってらっしゃる感じでしたけど。