「私は《死》に直面したことがないのが、詩人としてコンプレックスでした」(伊藤さん)

自分のありようを受け入れる

鈴木 みなさん、死の前の「老い」や「病気の苦しみ」を死と結び付けて怖がっているんじゃないかしら。キリスト教では、死を人生の完成と捉えています。ですから、死そのものは恐怖でもなんでもないんですよ。

伊藤 確かに! 病気で亡くなったコラムニストの小田嶋隆さんも、生前「死ぬのは怖くない。でも、死に至るまでの痛みや面倒くさいあれこれが嫌だ」と言っていて。それが真実なんだなあと思いました。

鈴木 苦しみや痛み、悲しみも人生のひとつですから、無駄ではありません。たとえ嫌なことが起きても、残念がりながらそれを素直に受け入れていく。すると、その経験が人を成長させてくれます。

生きる過程で出合う「老い」も「病」も、自分の力ではどうすることもできないもの。でも、起こる出来事には必ず何かの意味があるんです。

伊藤 シスターは90代になり、ご自身の老いをどう実感していますか?

鈴木 やはり、体が弱ってきますね。90近くまでは50代、60代と変わらない気力がありましたが、すいすい歩けなくなりますし、人に支えてもらうこともあります。でもそうしたら、「何ごとも受け入れなくては」という気持ちがさらに強くなりました。

伊藤 頭の動きはいかがですか? こうして対話していても、テニスみたいにやりとりできる。すばらしいと思うんですが。

鈴木 記憶力の低下はありますし、新しいことを覚えるのは苦手になりましたが、頭は冴えてきて、人の気持ちが以前よりわかるようになってきた気がします。

伊藤 それならいいですね。