「学問のむすめ」になれず、詩から絵に方向転換したが…

私は、『詩とメルヘン』を創刊から少したった時に書店で見た。当時、大学生で、周りの学生たちが読んでいた現代詩が難しくて理解できず、やなせさんが『詩とメルヘン』で提唱する「わかりやすい詩」に感動し、投稿を開始した。

イメージ(写真提供:Photo AC)

没にもめげず『詩とメルヘン』への投稿を何年も続けるうちに、入選者の抒情詩のレベルが、ものすごく高いのがわかってきたので、方向を転換することにした。絵を描いて、サンリオの出版部に持ち込み、『詩とメルヘン』の担当さんに見てもらうことにした。

私は、絵を描きたくて美術大学を受験するつもりが、とんでもないことで進路が変更になったのだ。

父の仕事の得意先の社長が、聞いたことのない新興宗教の教祖様に夢中で、父に私の将来を鑑定してもらえと言った。両親も私も、全ての宗教に興味がなかったが、得意先の社長には抵抗できず、教祖様が我が家に来た。そして、ご祈祷をし、重々しくお告げをした。

「この娘は、学問の道に進まないとヤクザの親分になる」というものだった。

父は「ヤクザの親分と結婚するのですか?」と焦って聞いた。

教祖様は、「結婚はしない。学問ができないなら、ヤクザの親分にならない名前を私が授けよう」と、きっぱりと言った。

母は、姓名判断の本を趣味で読んでいたので、教祖様に頼むと高額なため、やんわりと断り、お帰りいただいた。

母は私の名前を考えたが、「親の欲が出すぎて、名前の画数に迷う」と苦悩していた。

すると父が持ち前の頭脳の単純さを発揮した。「絵より文学なら『学』がついているから文学部に行け。福沢諭吉の『学問のすすめ』というのがあるが、おまえは『学問のむすめ』になれ」と、変な洒落を言い、進路が変更となった。

学問とはほど遠い学生生活を送って卒業し、ヤクザの親分にならず、就職には何度も失敗した。しかし、絵には未練があり、描いていたのである。