投稿することに意義があると思った
失業中に、サンリオに絵を持ち込んだ。『詩とメルヘン』担当の編集者さんは、1点1点を丁寧に眺めて感想を述べ、「もっとスケッチをしてください」と優しく言われた。全て没だということが、とても納得できた。
私は、「詩は没になるにしても、編集のどなたか1人は読みますよね?」と質問した。
編集者さんは、「あたりまえです。やなせ先生が読んでいます」と言った。
帰り道で私は、「『詩とメルヘン』は投稿することに意義がある。没になっても、読んでくださるだけでありがたい」という、悟りのような境地に至った。
初めて詩が掲載されたのは1978年3月号で『滑り台』という詩に、有名なイラストレーターの宇野亜喜良さんが絵を描いてくださった。嬉しすぎて、『詩とメルヘン』を持って記念撮影をした。約30年間の投稿で、自分の詩とプロの方の絵だけのページは9回だけだった。
投稿された詩の何篇かが一挙に見開きのページに並ぶ『ほんの三行詩』、『課題詩』、『星屑ひろい 自由詩篇』というのにも合計6回掲載されただけだが、やなせさんが各詩に絵を添え、感想も一言書いてくださり感涙した。
いま、控えとして残っている没の詩を読むと、寒気がするほどのひどさがわかる。選考とはいえ、これを読むのは苦痛以外のなにものでもないと思え、お詫びしたい気持ちになる。
しかし、20代から40代の自分は、才能がなくても、駄目でも、けなげに生きていたのだと感じた。実りなき過去が、今の自分の励みになるとは、若い頃、予想ができなかった。