八雲のコンプレックス
そしてもうひとつ彼の人生に大きな影響を与えたのが、16歳での左目の失明である。
さらに大叔母が破産し、17歳で学校を退学することになった八雲は、19歳の時に移民船に乗り、単身アメリカに渡る。そこで厳しい生活を余儀なくされたが、紆余曲折の末、24歳の時、オハイオ州シンシナティで事件記者として才能が開花し、名声が高まっていった。
そんな頃、彼は異界の語りができる女性と恋に落ち結婚。その関係も3年で終止符が打たれるのだが、彼女が語った社会の底辺の人々の暮らしや、奴隷たちの怨念(おんねん)がこもった幽霊譚は、彼の心に影響を与えたという。
このことをきっかけに、白人社会への違和感を強くし、一方で、さまざまな文化が混ざり合うことの豊かさを知り、偏見なく異文化を受け入れていくという、彼のスタイルが作られるようになる。
とはいえ、彼は白人の西洋人である。そこまで異文化や立場が弱い人たちに心を寄せる理由がわからない。
そこで同館学芸企画ディレクターの小泉祥子さんに話を聞くと、「西洋人と言っても八雲は背が小さく、左目も失明していて、自身にコンプレックスを抱いていました。また当時のアメリカにおいてアイルランド移民はマイノリティであり、八雲はアイルランド人であることを隠していたようです」
と、思いもよらない答えが返ってきた。そうだったのか……。