本来の自分を取り戻していこうと
彼は言うなれば、非常に弱い立場の人間だったということになる。心に傷も負っていたことだろう。だからこそ、奴隷として差別される人々や、社会的に弱い立場の女性や子どもに対して心を寄せることができたのだろう。
強い白人男性優位主義とも取れる厳格なキリスト教世界よりも、移り住んだルイジアナ州ニューオーリンズやカリブ海のマルティニーク島の、おおらかで多様な文化や民間信仰を目の当たりにして、より異文化へと心が向いていったのかもしれない。
もともと八雲は幼少期の体験から、目に見えないものに対する親和性とトキメキを持ち合わせていた。そこにキリスト教の世界観以外の視点で見聞きした、豊かな民俗文化を持つ世界が上積みされ、日本の神話や神道に対する強い関心と共感を生んだのではないかと想像する。
見えない存在、つまり神々と共に生きる日本人を深く理解しようというマインドは、本来の自分を取り戻していく作業になっていったのかもしれない。
小泉八雲のことを知らなくても「耳なし芳一」や「雪おんな」という話を知っている人は多いだろう。これらは八雲の代表作『怪談』に収められた話で、再話文学と言われるものである。再話文学とは、昔話や伝説、伝承など、すでに人々の中で知られていた物語に、血肉が通った文学的な表現を加え、新たな文学作品として創作したものをいう。