セツから感情や空気を受け取って

この創作に欠かせなかったのが妻のセツである。

セツも幼少期から実母や養母に物語を聞かせてほしいとねだるような、物語好きな子ども時代を過ごしている。八雲と同じように口承文芸に触れて育っていて、こんなにピッタリな組み合わせがあるのかと思うわけだが、彼女の語りは八雲の創作の源泉になった。

「淋(さみ)しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。へルンは私に物を聞くにも、その時には殊(こと)に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いているのです。その聞いている風がまた如何(いか)にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです」 (小泉セツ「思い出の記」)

セツの体を一旦通り抜け、彼女の言葉になった怪談を、全神経を集中させて固唾(かたず)をのんで聞く八雲。その時にセツから受け取った感情や空気が、次は八雲の体に入り込み、彼の言葉として新たな物語を紡いでいくということだったのだろう。

だからこそ、物語の読み手はその世界に没入し、怖さを追体験することができた。八雲の著作ではあるが、セツは共同創作者であり、セツなくして八雲の再話文学は生まれなかったと考えられている。

こうして彼を公私共に献身的に支えたセツだが、前出のセツの追懐談「思い出の記」を読むと、2人の間で交わされる独特な日本語「ヘルン言葉」を駆使して、とても温かで愛情に満ちた暮らしを送っていたことが、ヒシヒシと伝わってくる。純粋で、傷つきやすく、繊細なところがある八雲。今で言う生きにくさを抱えながら、それでも身を削って創作活動に心血を注ぐ八雲を必死に支えようとするセツ。

「セツにとって八雲は小泉家の長男みたいな存在だったと思いますよ」と前出の小泉さんも微笑みながら話してくれたが、本当にその通りだなと思うのだ。

八雲の一番の理解者であり、擁護者であり、愛すべき伴侶だったセツ。彼女と暮らすことで、八雲は自身の中にあったコンプレックスが癒(いや)され、幼少期に味わうことができなかった家族の愛というものを存分に知ったのではないだろうか。

そんな八雲だからこそ、弱い立場の人や小さな生き物に寄り添う心、神々という見えない存在や自然に対する畏敬の念を、それまで以上に大切にしたのではないかと想像する。