97歳の誕生日、父のダブルピースを初めて見た
2025年7月下旬、父は97歳の誕生日を迎えた。父のお気に入りの菓子店「六花亭」の喫茶室に連れていく予定を立てていた。喫茶メニューを注文したお客さんが、誕生日であることがわかる身分証明書を提示すると、好きなケーキと飲み物がもらえる特典がある。
喫茶室への入店は午後4時迄と決まっているので、日中の最も暑い時間の外出になる。老人ホームの居室に迎えに行って、父の身支度を整えながら私は言った。
「今日の気温は35度以上になるらしいよ。陽射しが強いので、後ろの席に座ってね」
父はすかさず答える。
「いやだ。俺は60年以上車を運転していたから、後ろに乗るのは好きじゃない」
陽射しを避けるために父の腕に掛ける薄手のタオルと、冷えた麦茶を車に積んできている。もちろん車のエアコンは入れるが、外に連れ出したら暑さで体力が消耗するのではないかと心配だった。
「助手席はお日様に照り付けられて、ジリジリするほど暑いよ」
「大丈夫だ。俺は暑さに強い」
30分程助手席に乗っている間、父は車窓から見える景色を楽しんでいる。
「夏らしい、濃い青のきれいな空で、気持ちがいいな」
空の色に感動できる父が、ちょっと素敵に見えた。
六花亭に到着し、父の手を引いてゆっくり歩いて喫茶室の席に座った。父はピザパイが食べたいと言うので私が注文をした。次に、誕生日の特典を受ける準備を父に促した。
「パパ、お財布からマイナンバーカードを出してくれる?」
父は財布のカード入れの一番手前にあるマイナンバーカードではなく、その陰にある運転免許証を出して、店員さんに聞いた。
「運転免許証でもいいですか?」
店員さんはにっこりしながら「はい」と言ってくれた。有効期限は2022年の8月。更新はしなかったが返納もせず財布に忍ばせていた、期限切れの運転免許証。父は車の運転が好きだったことを思い出し、私は口を挟まず見守った。
誕生日のケーキがテーブルに運ばれると、隣の席の年配の女性が声をかけてくださった。
「おめでとうございます。おいくつになられたんですか?」
「97歳です!」
誇らしげに言うと、父は突然ダブルピースをした。片手のピースさえしたことなかった父のはしゃいだ姿を、私は写真に収めた。100歳まで元気でいたいという父を支えていけるように、私は自分の健康管理にも気をつけなければならない。
(つづく)