『壁抜け男』の思い出
劇団四季では、作品ごとに行われるオーディションがありましたが、手当たり次第に受けるのではなく、声質や年齢など僕に合った役に挑戦していこうと、ずっと思っていました。自分の声質などと折り合う役を丁寧にやっていきたい、という気持ちがあった。もちろん演出家からいただいた役で、自分の幅が広がったこともあります。この20年、そうやってバランスを取りながら、徐々にやれる役が増えていったのではないかと思っています。役者としていろいろな役を生きられたのは幸せなことです。それは今でもまだ続いているし、この先もずっと続いていくのですが…。
これまでで印象に残っている役は、たくさんあります。中でも『壁抜け男』というフランス生まれのミュージカルには特に思い入れがあります。
『壁抜け男』の初演は石丸幹二さんが主演を務めていらしたんですが、僕は高校3年のときに福井でこの公演を観ました。なんてしゃれたミュージカルなんだろうと思って、ビデオを買いました。それを帰宅してから弟と二人で何度も何度もほとんど暗記するぐらい見ていたんです。
時は経ち、劇団四季で『壁抜け男』の再演が決まり、制作部から「浅利先生が『壁抜け男』の歌を聴きたいとおっしゃっています」との連絡を受け、その日のうちにオーディションとなりました。
これ、普通ならまだやったことのない役の歌ですから、譜面を見てある程度練習しないと歌えないですよね。すごく難しい曲なので初見で歌うのはなかなか厳しい。でも僕は18歳のころ、ビデオを擦り切れるほど見ているから全曲、頭に入っていたわけです。それで浅利先生の前で歌ったら、即、「お前でいく!」と一言。主人公のデュティユル役をやらせていただくことになりました。18歳でビデオを見ていたとき、数年後にこの役を自分がやるなんて想像もしていませんでしたが、まだ若い僕を抜擢してくれた浅利先生にも感謝しているし、不思議なご縁を感じます。
それで言うと、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン役も、藝大時代にコンサートで歌い込んでいたので、プロとして役をいただいたときにもすんなりと役に飛び込むことができました。いろいろなことがちゃんと繋がっていると実感できるのは幸せなことです。