初めて目の当たりにした母の弱い姿
田部井 登山家は死との距離が近いからか、田部井家には、「出かける時は、必ず顔を見せてから」というルールがありました。家に誰かがいたら、きちんと顔を見せて「いってきます」と伝える。そんな決まりもあって、早い段階からいつか別れがくることは覚悟していたんです。
それでも、がんと聞いてやはり衝撃でした。無敵で強い人だと思っていたのに、病気で亡くなるのだろうかと恐怖を感じて。僕ら家族は母に長く生きていてほしいから、「頑張れよ」と言う。すると、「まだ頑張らなきゃダメなの?」。
あぁ、もうつらいんだ。だったら、ゆったり過ごしてもらったほうがいいかな、と思えるようになりました。
吉永 私が忘れられないのは、病室でのシーンです。淳子さんは、どんな思いで最期の日々を過ごし、旅立たれたのか。著書とシナリオをじっくり読んで撮影に臨みました。
田部井 病室で母と過ごしたのは本当に大切な時間でした。末っ子の僕は、生まれた時から「世界の《TABEI》」と呼ばれる母に甘えられなかった。
考えてみたら、夏休みはいつも山に行って不在なので、8月の自分の誕生日を母と過ごした記憶がありません。だから病院で初めて祝ってもらって、たくさん話ができたのは幸せでした。