肖像画に描かれた女性たちの姿は……
「正しい座り方」と書く「正座」は、いつの時代にも礼儀にかなった作法と思いがちです。しかし中世の絵巻物を見ると、片方の膝を立てたり、あぐらをかいて座る女性の姿が多く描かれていることがわかります。
その理由の一つとして、当時は住まいの床が「板の間」だったことがあります。ためしに自宅のフローリングで、正座と立て膝、あぐらで座ってみてください。立て膝やあぐらのほうが膝に負担がかからず、また立ち上がるのも楽なことが実感できるのではないでしょうか。
もう一つの理由が、服装です。当時の女性の服装は小袖といって、丈が短く身幅もゆったりしていたため、足が自由に動かせました。またもう一枚の小袖を腰に巻いたり袴をはくことで、膝を立てたりあぐらをかいても、前がはだけてしまう心配がなかったと考えられます。
「それは庶民だけの話で、身分の高い女性は違うのでは?」と思うかもしれませんね。しかし豊臣秀吉の正室・ねねが出家後に描かせた肖像画では、板の間に敷いた畳の上へ右膝を立てた立て膝で座っています。あるいは織田信長の妹で淀殿の母であるお市の方の肖像画も、ゆったりとした袴の下であぐらをかいているような姿勢です。
スマホやカメラで気軽に自分の写真が撮れる現代とは違い、中世の女性にとって肖像画が描かれるのは人生で一、二回の経験。装いだけでなく姿勢も、当時の正式な礼儀にかなっていることは間違いないでしょう。つまり立て膝やあぐらが、戦国時代の女性にとって「正式な」座り方だったのです。
ちなみに、両膝を折る座り方が広まったのは、畳が広く普及した江戸時代初期から。徳川幕府が礼法として採用した小笠原流で、相手を敬う姿勢としたことも普及の一因となりました。その姿勢が「正座」と呼ばれるようになったのは明治時代以降とされています。
