芸人としては不遇の時代が長く続きましたが、渡り歩いたバイト先でそれなりにうまくやってこれたのは、小学校時代に人との関わり方、置かれた環境に適応する術を身につけたことが大きかったように思います。
僕は小学4年の2学期に、熊本から愛媛の学校に転校しました。土地柄も言葉もまったく違うところに、しかも学期途中に放り込まれる。それまでの人間関係はリセットされ、まわりは知らない顔ばかり。子どもにとっては大ショックな出来事です。
最初はつらかったですよ。たとえば熊本では「叩く」ことを「打つ」と言います。転校間もない頃、ふざけて肩を叩いてきたクラスメートに、僕は「打つなや!」と返しました。するとその子は「“打つ”って何だよ。“叩く”だろ」とからかい始めた。「あ、なめられないように言葉を直そう」。周囲との差を瞬時に感じ取った僕は、ズレを微調整する術を身につけていったんです。
それからは環境や相手が変わるたび、自分を合わせるようになりました。といっても“微”調整ですからね。完全に従うわけでもない。そんなずる賢さもありました。
そういえば転校してすぐに運動会があって、リレーの選手がなかなか決まらなかったので、僕はとっさに自分の50メートル走のタイムを1秒速くサバを読んで申告したんです。早くクラスになじみたい、という一心で。でも、小4の徒競走の1秒はかなり大きいことに、あとで気がつきました。(笑)
僕は自分に課した1秒の“サバ”を埋めるべく、リレー本番までの1ヵ月間、走り込みました。ハッタリをかますことで自分自身も努力しなくちゃいけない。その結果、実際にいくらか成長できるんです。そう考えればハッタリも悪くないものです。1秒縮めるのはさすがに無理でしたが、リレー本番ではすでに他のチームと大差がついていて事なきを得ました。(笑)
それに、人はすぐに相手との「上下」をつけたがりますよね。新しい職場に行ったとき、「この人、ダメだな」とまわりから印象づけられてしまうと、そのあともずっと見下される。そこで最初に、ちょっと自分を大きく見せておく。これも小学校時代に会得した僕なりの知恵です。