“いいこと探し”で人生を楽しむ
HGがピン芸人としてブレイクしたとき、僕自身はさほど嫉妬の気持ちはなかったと話しました。なぜそうだったんだろうと振り返ると、僕は、状況が悪くなったときのために“保険をかけがち”なんです。
芸人の道を歩み始めたときも一般企業に就職しているし、辞めたあとも、初任給と同じくらいもらえるようにと2つのバイトをかけもち。新喜劇に入ったときも、「今の生活リズムで一番稼げるのは」と計画を練ってバイト先を選んでいます。深夜の個室ビデオ店での月20万円以上の稼ぎは、売れない芸人としては高給取りでした。
HGがブレイクしたのはちょうどこの頃で、僕のほうはビデオ店の店長になって懐は潤い、今の妻と同棲しながら犬も飼ったりして。要は“リア充”です(笑)。相方がめっちゃ売れたのを素直に喜べたのも、余裕があったからかもしれない。この保険をかける体質も、小学校時代の転校で「環境の急激な変化に対応した」ことから生まれたものでしょう。
10年前からやっている「あるあるネタ」は、今も芸人としての僕の大きな武器となっています。ヒットした歌に乗せて、「〇〇のあるある、早く言いたい~」を何度も繰り返しながら、なかなかあるあるの内容を言わない。そうしてメロディのサビの最後になって、ようやく「〇〇しがち~♪」とオチを言うスタイル。これも延々と歌い続ける僕に、まわりの芸人仲間が「はよ言え!」とツッコミを入れてくれたから、ネタとして成立したのです。ある意味「集団芸」でもあるわけで、芸人仲間には感謝です。
だから僕は、まずは売れないときからお世話になっている先輩や芸人仲間をネタで喜ばせたい。笑わせたい。モノマネも、細川たかしさんやラグビーのリーチ マイケル選手、日本ボクシング連盟の山根明・元会長、寺田心くんもやりますが(笑)、芸人仲間や先輩から「今度はこの人やったらどう?」と言われると、すぐ見せに行くんです。
僕は男前じゃないし、むちゃくちゃブサイクでもない。話術が巧みなわけでもない。とくに秀でたものがない僕がお笑いの世界で生き残ってこれたのは、ベースに人との関係から生まれた何かがあるからなんですね。
あらためて振り返ると、僕の人生は決して順風満帆ではなかったけれど、幼少期からサラリーマン時代、アルバイト時代、お笑いの世界、いつでもたくさんの人に優しくしてもらいました。だから僕も人には優しくしたい。人を殴るような人は、自分も殴られてきた人なのです。
職場での悩みを僕も聞かされることがあるけど、うまくいかないことはいったん置いておいて、楽しいことに目を向けてもいいと思う。苦手な上司がいても、「好きな演劇を観に行けるのも、ここで働いてお金をもらっているから」と考えるとかね。
人も仕事も別の角度から見たら、イヤなところばかりじゃない。“いいこと探し”をたくさんしたほうが、人生はだんぜん楽しくなるはず。これまでも、これからも、僕はそうしていきたいと思っています。