「さあ、すぐいきましょ!」

 午前の授業が終わると、朝子はハルの手を取るようにして教室をでて駆け足で寮監室に向かい、外出許可を取った。

淑惠は少し眠たげな目をした二十代後半の女性だった。映画雑誌の写真を横目で見ながら、いいこと、いっていいのは橋のこっちだけよ、と朝子に念を押した。朝子は満面の笑みで、もちろんですわ、とうなずく。つまりは、遊廓のある初音町や若松町(わかまつちょう)には、女学生たちは立ち入り禁止ということらしい。 

校門の外では、もう紅がハンドバッグを持って待っていた。朝子の話では、ほんとうは黒の学生鞄でないといけないので、これは軽い校則違反だそうだ。

市場に続く道すがら朝子がハルにしてくれた説明によると、公立の台中高女は、良妻賢母を育成するという目的から校則も厳しいが、私立で生徒数も少ない恩寵高女は自由な校風が特徴なのだという。それは、事前にハルがきいていた話とも一致した。

「まあ、だれもうちらに期待してへんってことなんやろうけどな。ぜんぜん勉強もできひんし」と紅。

「いいじゃないの。良妻賢母なんて時代遅れよ。早く結婚したって苦労するだけ。お母さまは家じゃ奴隷みたい。わたし、内地にいったらどこか適当な東京の学校に進んで、遊び暮らすの。カフェーの女給さんも憧れるわね。内地じゃ、学校抜けだして女給さんになる女学生もいるんでしょ? ねえ、青山さんはどうかしら?」

 ハルは一瞬言葉に詰まった。ハルが女学校に通っていたころはカフェー文化はまだまだ黎明期だったし、女給は芸者や、下手すると娼妓の同類とみなされていたので、朝子のように憧れを口にする同級生はさすがにいなかった。

「そうねえ、あたし、カフェーもいいけど、語学がいいと思うわ。内地にいたころの友だちのお姉さんは、英語を学んで外国にでていったし」

 実際に女子英学塾に通ったハルがいまいるのは、英語の勉強とはなんの関係もない台湾だが、それはべつに伝える必要はないだろう。

「ほんとに? それならわたしも勉強したい。レビューの写真見てからずっと巴里(パリ)に憧れてるの!」

「朝子さん、この前の英語の試験の点数覚えとるん? 落ちこぼれのうちよりもずっと低かったやん」と紅が意地悪くいった。

「それはいいっこなしでしょ! 内地にいったら精をだすわ」

 話しているといつのまにか新富(しんとみ)町市場をこえて、大和橋(やまとばし)の手前まできていた。どうも紅のいきたい場所というのは橋の向こうにあるらしい。

「橋の向こうはいっちゃいけないんじゃないの?」

 おそるおそるハルがそういうと、朝子が後ろからぽんと肩を叩いた。

「青山さん、背が高いのに気が小さいわねえ。大丈夫、大丈夫。みつかったってせいぜい数日の謹慎くらいのものだわ」

 ――この不良娘め。

 ハルは心のなかで悪態をついた。