週末はなにごともなく過ぎた。

 秀梅は部屋では猫をかぶっていて、朝子や紅だけでなくハルとも普通に話していた。けれど、部屋をでるとハルのことを完全に無視した。あのやりとりで完全に信用を失ってしまったことが、ハルには悲しかった。

 月曜日の深夜、ハルがお手洗いの個室に入ると、廊下から話し声がきこえた。青山先輩、という小さな声が耳に入ってきて、すぐにハルは後輩のだれかが自分のことをさがしていることに気がついた。 

 数日前の礼拝のあとに、交換日記をしてほしいと声をかけてきた二年生のふたり組かもしれない――。

 ふたりがお手洗いの外で待っていることはまちがいなかったので、個室の高窓によじ登って外にでると、ちょうどチャペルの裏手だった。チャペルをまわりこむように芝生の上を歩き、寮との渡り廊下のあるチャペルの正面にでる。

 ところが、チャペルの前まできたとき、渡り廊下を寮のほうから小走りでこっちに向かってくる人影が見えた。ハルは慌てて開いていた扉からチャペルのなかに駆けこんだ。消灯後でも祈りや懺悔に訪れる生徒のために、チャペルの扉はいつも開かれているのだ。

 足音が近づいてきたので、暗闇のなかを手さぐりで進み、聖母マリア像の裏に身を隠した。

「ほんと青山先輩、どこにいったのかしら……」

「抜け駆けはなしよ!」

 声であの二年生のふたり組だということにハルは気づいた。

「だれかが入っていくように見えたんだけど」

「あんなでっかいひとが隠れられるわけないわよ!」

 ――余計なお世話。

 かすかに湿り気を帯びたひんやりとした空気が眠気をさそう。

 そのうち足音は遠ざかっていき、なにもきこえなくなった。

 ため息をひとつついて、ハルは立ちあがろうとマリア像の載っている台座に手をかけた。

 すると指先になにかがふれた。のぞきこむと陶製のマリア像のつま先と木の台座のあいだにわずかな隙間があって、そこに紙片のようなものが差しこまれている。

 ハルはおそるおそる紙片を引きだしてみた。それは台湾の観光地が描かれた絵ハガキだったが、ずいぶん長いこと放置されていたのか、ところどころ虫に食われている。薄明かりの下、ハガキに書かれた文字を目で追う。

 最初に「Dear Jo, 7 Oct No.15」という文字が目に飛びこんできた。それに続く文字を見た瞬間、ハルは鼓動が一気に早まっていくのを感じた。

 ――with love, Asuko.

(続く)

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