《受賞のことば》
正直な気持ち 佐藤正午
受賞の報せがあった日、夕方、電話はユーチューブの動画を再生中のスマホにかかってきたのだが、まずもって驚いた。しかもそれが中央公論文芸賞の受賞だというのでさらに驚かされた。
昨年12月、『熟柿』のカバーと帯の見本画像がメールで届いたときは、ファイルを開いたとたん目を見はった。いっぺんに心をつかまれた。小説の出来はともかく、この衣装で書店に並べてもらえれば人目を惹きつけるだろう。きっと話題を集めるだろう。それが楽しみで刊行を心待ちにしていた。
ところが3月末に本が出ると、徐々に、カバーデザインばかりでなく小説は小説で好評を博していると嬉しい話が伝わってきた。SNSで強力に推してくれているひとがいる。新聞、雑誌に書評も載った。
となるとこれ、無敵じゃないか。本のカバーは文句なし、中身の小説の評判も上々、だったら『熟柿』はもはや小説の範疇にとどまらず、「一冊の紙の本」のあるべき姿として「理想形」と言えるんじゃないのか。少なくとも佐藤正午史上ベストの本を世に送り出せたんじゃないか?
というような(新作を出した作家にありがちの)自負心が芽生えて、順調に育ちかけていた矢先の、受賞の報せだった。だから驚くにあたらない、どこのどんな文学賞でも受賞に値する本が受賞したのだと悠然と受け止めればいいようなものだが、なぜかそうはいかなかった。
報せを耳にしたとき、中央公論文芸賞(!)の名前に不意を打たれて、過去の因縁(みたいなもの)がよみがえって、いい年して感傷的にもなり、電話を切ったあとでひとり、長生きすればこんなこともあるのかとしみじみ思ったりもした。
今年1月に出た文庫『正午派2025』という本には、作家佐藤正午の詳細な年譜が収録されている。それによると1990年、いまから35年前、『別冊婦人公論』に短編小説を1つ発表している。その1回きり。つまりこの出版社と僕とのつながりはほぼゼロに等しい。
そこからまずこう言える。自社にとって何の利益にもならない作家の本を、自社の名を冠した文学賞の候補に挙げて、選考委員の判断に委ねる。中央公論文芸賞。よほど度量の大きい文学賞なのだろうと思う。でもそっちへ話を進めると、じゃあどっかに度量のちいさい文学賞があるのか? みたいに話がこじれて物議をかもす恐れがある。
ここからは僕が佐藤正午の筆名でプロになる以前、1970年代の昔話である。これも『正午派2025』の年譜にしっかり書き記されている。当時、中央公論新人賞という公募の文学賞があった。で、大学生だった僕は初めて書いた小説を出版社に送った。
結果は、梨のつぶてだった。待てど暮らせど連絡なし。記憶では、応募原稿を受け取ったというハガキ1枚貰えなかった。やがて『中央公論』誌上に誰かの受賞のことばが掲載された。そうか、と僕は打ちのめされた。そういうことなのか。
そうか、というのは初めて書いた小説の出来(というか不出来)についての自覚。そういうことなのか、とは無用の人間にいちいちかかずらわるほど東京の出版社は優しくはないのだなという学び。両方合わさって無気力に見舞われ、大卒・就職の道まで諦めて故郷の佐世保に帰った。
ただ帰っても何もすることないから、性懲りもなくまた小説を書き、そして……あいだは端折って……現在に至る。要は中央公論新人賞落選によって挫折を味わい、僕は人生の方向転換を強いられたわけだ(と思っている)。
そういった因縁のある出版社からの、半世紀近くもの時を隔ててもたらされた、受賞の報せである。事前に候補作の公表がないから突然の報に驚くのは当然として、さらに重ねて賞の名前に僕が驚いたのもおおよそわかっていただけると思う。もちろん喜んで頂戴しますと電話口で即答したし、それがいちばん正直な気持ちではあるのだけれど。
1955年長崎県生まれ。83年『永遠の1/2』ですばる文学賞を受賞しデビュー。2015年『鳩の撃退法』で第6回山田風太郎賞、17年『月の満ち欠け』で直木賞を受賞。『Y』『ジャンプ』『5』『アンダーリポート』『身の上話』『ダンスホール』『冬に子供が生まれる』など著書多数(写真提供:KADOKAWA)