当時の新聞が報じた八雲の姿

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「お雇ひ教師ヘルン氏 本邦に在留せる西洋人はとかく自国の風を固守し我邦の事物を目して野蛮なり未開なりと悪しざまに批評する癖あれども、今度本県に雇入れられたるお雇ひ教師ヘルン氏は感心にも全く之(これ)に反して、日本の風俗人情を賞賛すること仕切(しき) りにして其身も常に日本の衣服を着して日本の食物を食し、只管(ひたすら)日本に僻するが如き風あり。……(後略)……」(一八九〇・九・十四)

この記事によると、ハーン到着の報を聞いてある人が直ちに宿屋に挨拶にいった。その時、和服のままでは礼を失するかと思い、わざわざ洋服に着替えて行った。

ところが出てきたハーンは浴衣姿で座蒲団の上にくつろいですわり、日本人の方を、洋服で正座は窮屈だろうからと椅子に腰かけさせたらしい。「其(その)案外なるにあきれ、然(しか)らば態々(わざわざ)洋服に着換へざりしものと後悔したり。」

というこの人物が県の役人なのか、西田なのかはわからないが、両者はぐっと打ち解けて、雑談もはずんだ。

ここは山陰の奥の僻地で西洋人の出入りもなく何かと不便でしょうと言うと、ハーンは、西洋人が常に往来している地方は好きではない、古来の風俗習慣をそのまま保存する地方にこそ滞留したいのだ、食事も西洋食でなくて結構、今日も二、三合の酒に鮨を食べた、と答えたという。

『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』(著:牧野陽子/中央公論新社)