ハーンと日本の蜜月関係

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和服姿のハーンと洋服に身を包んだ日本人が向かい合い、楽しそうに談笑する。ハーンは相手の意表をついて万事日本風に馴染んでみせることがいかにも嬉しく得意気でさえあり、日本人のほうは、驚きつつも感激する。この構図がいわば、ハーンの松江時代を象徴することになる。

日本があらゆる意味で西洋と向かい合わざるをえない、そういう文化状況のなかで、西洋に背を向けた西洋人が日本を理解し、みつめてくれるという両者の蜜月関係である。ハーンにとって今や、出雲にみいだされる日本とは条件のそろった理想的な異国だった。

そうした異文化を自分は理解できる。しかも自分が理解することを相手も喜び、評価してくれる。シンシナーティの黒人やニューオーリーンズ、西インド諸島のクレオールへの関心は片思いのようなものだったが、松江の日本人は記事の文面からもうかがわれるように、ハーンの日本文化理解をなかば驚きの混じった大いなる好感をもって受け止めた。

いわば、アメリカ移住以来、培ってきた自分のアイデンティティが初めて認められた場なのだった。こうして松江時代はハーンにとって、生活の面でも作品のなかでも、異文化を理解することの喜びに満ち溢れた、幸福な日々となるのだった。

※本稿は、『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

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ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』(著:牧野陽子/中央公論新社)

他のお雇い外国人と異なり、帰るべき故郷を持たないラフカディオ・ハーン。

ハーンが神戸、東京と移り住むうちに、日本批判へ転ずることなく、次第に国家・民族意識を超越し、垣根のない文化の本質を目ざしてゆく様子を描く。