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朝ドラ『ばけばけ』のモデルとなった明治時代の作家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。松江で英語教師として働くことになったハーンは、数日がかりで東京から新天地を目指しました。その旅路で八雲はどんな景色を見たのでしょうか。『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』から一部を抜粋して紹介します。

山越えの旅

ハーンが東京を離れ、新任の地、島根県松江へと向かったのは一八九〇(明治二十三)年八月下旬のことだった。まだ日本語がおぼつかないハーンのため、真鍋晃も通訳として同行する。

東京から姫路までが汽車、姫路からは人力車を雇って中国山脈を越えるという旅程であった。東海道線はようやく一八八九年に神戸まで全通し、九〇年に姫路まで開通したばかりで、一日一往復の便、片道約二十数時間を要した。

後にチェンバレンに宛てて、「この旅行は私のすべての旅行経験のうちで、いくつかの点で最も愉快な旅でした。」(一八九一年六月ごろ)と書き送った、姫路から日本海側への中国山脈の山越えの旅のことをハーンは、「盆踊り」(『知られぬ日本の面影』)という印象的な短篇にこう書き出す。

「神代そのままの国、古い神々の国、出雲へ行くには、幾つも山をこえなくてはならない。太平洋岸から日本海岸へと、強力の車夫をとっかえひっかえ、俥で四日の旅である。いちばん距離が長くて、いちばん人が通らない道を選んだからである。」