日本海沿いを西進し米子へ
ハーンが実際にどの経路を通ったかはわからない。おそらく当時出雲街道と呼ばれた一般的なコースを避けた上で、人形峠か犬挾(いぬばさり)峠または駒返り峠(志度坂峠)をへて山陰街道に出て、日本海沿いに西進して米子に到着しただろうとされている。
だが道順はさておき、いま目をひくのは、その旅路の描写である。
「長い道が谷間を縫うように続いている。谷はさらに高い谷へと開け、それにつれて道ものぼり、山と山とに挾まれた稲田の谷は、畦をめぐらした台地の段々につれて上へ上へと続き、巨大な緑の階段でも見るようである。その上には松や杉の薄暗い森が影を作り、この樹木におおわれた山々の頂の上には、さらに遠い連山の藍色が浮かび出て、そのまた上にぼうと灰色に霞んだ山脈のシルエットが重なっている。大気は生暖かく、風がない。」
幾重にも曲折する山道を登りながら、一段一段と高さを増していく。
ちょうど緑の屏風の間をたどっていくようで、たった今来た道はもう山の影に隠れて見えない。そうやって次第に山脈の奥深く入りこんでいくこの描写は、単に忠実な旅の記録だけとは限らない。
次々と風景が展開し、自分のたどってきた道筋がわからなくなるこのような「つづら折りの道」とは、方向感覚を失わせる一種の迷路であり、新世界ないしは異世界へ行くときの古今東西共通の文学的符号だからである。
「大気が生暖かく、風がない」というのも、あたかも時が停止し、現実の時間のエアーポケットに入ったような感覚を与える。
