世を去った後に像が作られたという意味

最近、秀長の像がある奈良県の壷阪寺(つぼさかでら)に行きました。実はその像、豊臣政権が終わった後の徳川の時代に作られたと推測されています。

豊臣の時代が終わっても、誰かが秀長のことを後世に残したい、と思ったに違いない。きっとあらゆる人に目線を合わせながら手を差し伸べ、豊臣の時代を支え、守ろうとしていた人なのかなと思います。

(『豊臣兄弟!』/(c)NHK)

秀長に対するイメージには、兄に振り回され、一歩下がった名補佐役というものがあると思います。一方で、史料にあまり残っていない若い頃の役作りはすごく難しい。

「この役はこういう役だから」と制限をかけてしまうと、役が小さくなってしまうように感じたので、受け身ではなく能動的に演じていきたいです。