子どもたちにとっては、“親戚のおじさん”みたいな存在

歌手としては私が“先輩”ですが、けんちゃんと、コンビ「けん♀♂けん」としてデュエット曲を出したこともあります。今から19年前、つんく♂さんに作っていただいた、「銀座あたりでギン!ギン!ギン」「LOVE TOKYO NIGHT」の2曲です。

もともとドリフターズは音楽家集団ですし、けんちゃんも音楽に造詣が深い。レコーディングやPV撮影など、楽しんでやっていたみたい。

志村けんさんの追悼特集が組まれた『婦人公論』5月12日号

けんちゃんの歌は、なかなかのものでしたよ。吉幾三さんの曲が大好きで、カラオケで歌っているのを聞いたことがありました。聞いていると自然に涙が出てくるんです。歌い方もよくって、変にテクニックを使わず、歌詞がストレートに胸に突き刺さってきました。

よく、「プライベートでは2人で飲みに行っていたのですか」と聞かれますが、実は、2人きりで行ったことはないんです。あるとき、けんちゃん行きつけの麻布十番の居酒屋へ、ダチョウ倶楽部の上島竜兵ちゃんを誘って、何人かで行ったことがありました。お酒が飲めない私を竜兵ちゃんがあれこれ気にしてくれたのですが、けんちゃんが「見てるこっちが気を遣うんだよ!」と言ってイジっていました(笑)。大好きな後輩への気遣いがいつもありましたね。

私の家族と食事したこともあったし、小さい頃からけんちゃんのコントが大好きな子どもたちにとっては、“親戚のおじさん”みたいな存在でしたから、ショックも大きかったんです。家族でいるときには、よくけんちゃんの話をしてしまいます。

男女問わず、モテた人でした。恋の噂も多かったですね。けんちゃんは優しくて、思いやりがあって……とにかく人として素晴らしいから。悩んでいる人には、必ずいいアドバイスをしてくれるんです。

今はもうどんなことをしてもいっしょにコントをできないことがつらいですが、会えなくなっても、照れくさそうに笑っているけんちゃんの顔はすぐに思い浮かびます。あの笑顔を一生忘れないと思うし、いつかどこかで、「あー、けんちゃん!」ってばったりまた会える気もしています。


追悼・志村けんさん「天国でも、みんなを笑わせて」

由紀さおり「正気と狂気を行ったり来たり。喜劇に人生を捧げた孤高の人」
小柳ルミ子「ボーヤの頃に出会って48年。同志であり、戦友だった」
研ナオコ「もう二度といっしょに仕事ができないなんて」