母親は自由を諦めてあたり前?

あの日、私が東京へ行っていようがいまいが、長男はインフルエンザにかかっていたかもしれないし、修学旅行にも行けなかったかもしれない。
頭では理解しているけれど、それでも、母親なのに家を空けて東京へ出かけたことの罰のように思えて仕方なく、ずっと大きな重石になっている。

私は母親で、もう、自分の「行きたい」という気持ち一つでどこへでも行けるような身分ではないのだ。

自分のために100%の時間を使えることがこれほどまでに希少な特権だったなんて。当時はその価値に気づかず無自覚にその権利を使い捨てていた。今の私が喉から手が出るほど欲しい「自由」をあんなに無駄に持て余していたあの頃の私を、ひっぱたいて説教してやりたい。2ちゃんねるなんかに一日中入り浸ってんじゃないよバカ!

「子どもがいなければ、もっと遠くまでいけるのに」といつも思う。こんなこと絶対に言ってはいけないのだろう。
「子は宝」が大前提の社会で「子どもがいない人が羨ましい」なんて口が裂けても言ってはいけないはずだ。

母親になったことを後悔しているわけではない。自分以外の誰かを愛するという体験をさせてくれて、やっと私を少しはまともな人間にしてくれた彼らと会えなかった人生なんて考えられない。
子どもを愛しているからこそ、その物理的な重みが呪わしい。

子どもを産んだら母親が自由を諦めることはあたりまえなんだろうか。

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