愛する重りを推進力に変えて
「週末の文フリ(東京)が楽しみ!」という独身の知人の言葉。それが悪意のない純粋な自由だからこそ、こちら側の不自由が際立つ。
同じ才能、同じ努力をしているのなら、身軽でいつでもどこへでも行けて、自分の時間をすべて自由に使えるあんたのほうが絶対に勝つじゃん! ドロドロと妬んでしまう。
そして「いいな。私だって子どもがいなければ」と一瞬でも思ってしまう自分への自己嫌悪でぐちゃぐちゃになるのだ。
けれど、新幹線の座席で、あるいはSNSの画面の前で、ひとしきり自分を呪い尽くした後に、私はいつも一つの結論に辿り着く。
「お母さん」であることを脱ぎ捨てて生きることは、もはや私にはできない。出かけている間中「彼らは今ごろ熱を出していないか?」とずっと気になってしまうし、何かあるたびにうろたえ、自分の無力さ、無責任さに絶望する。そんなどうしようもなさも含めて、今の私という人間の形なのだ。
自由な人への嫉妬を抱えながら、それでもこの重たい愛を手放せないのだから、これはもうしょうがない。
子どもがいるから可能性を諦めるなんてことはしたくない。私は強欲だ。
子どもたちの柔らかい頬を撫でる幸せも、東京のど真ん中で「作家」として評価される高揚感も、その両方をこの手に掴み取って離さないと決めている。
愛と自由のトレードオフなんて、誰かが勝手に決めたルールにすぎない。 私はこの愛する重り(家族)を引きずったまま、それすらも推進力に変えて、身軽な彼らよりもずっと高く、遠くへ行ってやる。
