夢の国でも「客という役割」を意識してしまう私

そういえば昔からそうだった。
夢の国でさえ私は、着ぐるみのキャラクターを中の人の労働と見てしまう。恋人が連れて行ってくれても、結婚して子どもを連れて行っても、「せーの、ミッキー!」と、みんなと体温を合わせてはしゃぐことができない。

こんな炎天下で大変だろうに。そろそろ控え室に戻りたいのでは? あんな重そうな着ぐるみでおどけるなんて、かなり体幹がしっかりしているんだな……などと思ってしまう。

パーク内を歩くキャストスタッフとのやりとりも私にはハードルが高い。彼らは常に笑顔で、完璧な住人として振る舞う。道を尋ねれば、まるで冒険の旅立ちを見送るかのような大げさな身振りで「いってらっしゃい!」と手を振られるし、レシートを渡される時でさえ、そこには過剰なまでの夢と魔法がふりかけられている。

それに対し、私はどう振る舞えばいいのか。「わあ、ありがとう!」なんて手を振り返すなんて無理だ。恥ずかしくて鳥肌が立つ。いい大人が仕事中の店員さん相手に魔法にかかったフリをするなんて正気の沙汰ではない。

(できないけど)私がノリノリで返事をしたら、彼らはどう思うんだろう? 「おばさん頑張ってる頑張ってる」と内心で失笑されるんじゃないか。いや、ここは夢の国だ。逆に恥ずかしがって無視する方が「大人の対応ができない面倒臭い客だ」と思われるかもしれない。どっちに転んでも地獄……!

相手がプロであればあるほど、こちらも「客という役割」を完璧に演じなければならない気がしてひどく疲れてしまう。
高いお金を払って手に入れられるのは、夢でも魔法でもなく「やっぱり私にファンタジーは向いてない」という再確認だけだった。

誤解しないでほしいが、私はエンターテインメントそのものは好きだ。素晴らしい音楽や映画には涙して感動するし、大きく価値観を変えられることだってある。けれど心が動かされるのは、あくまで完成された「作品」だ。その背後にある生身の「人間」や「文脈」を丸ごと愛する「推し」という行為とは、似て非なるものなのだ。

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