ノンフィクション作家はすごい。どこにでも行って、何でも集めるのである。あたしは腰が重い。実地に銚子に行ったりせずに、記憶だけで書いたほうがいいんじゃないかと思ってたくらいだ。でも鈴木さんにひきずられて行ってみたら、すごかった。

昭和三〇年代にあたしが泊まっていた伯母さんの家のあった場所。そこからの光景。電車からの景色。白黒の記憶に色がついた。そしたら光の加減も思い出した。遊んだ浜辺のどっちの方向に灯台があったか。人の声。人の言葉。海辺の岩場の感触も匂いも。つるつると記憶が引っ張り出されてきた。

銚子はしょうゆの町だった。ビジネスホテルの朝食にもどこの食べ物屋にも、ヤマサとヒゲタ、しょうゆが二種類おいてあった。それで思い出した。母が使っていたのはヒゲタだったこと。その味。

ノンフィクション作家はすごい。どこでもぐいぐいと知らない人に話しかけていくのである。銚子の飯沼観音の境内の焼きそば屋で、八〇前後のおばさんが焼きそばを焼いていた。あたしと同世代の、漁師だったという男がビールを飲んでいた。その中に鈴木さんはぐいぐい入っていって、焼きそばを食べながら、おばさんや男に話しかけた。

二人の話を聞きながら、あたしは店の外を、若いときのあたしの母がすっと歩いていったようにも感じたのだ。

いろんなことを調べたけど、いちばんうれしかったのは、あたしの父が昭和二四年三月四日浅草で映画を見たというのがわかったことだ。何を見たかはわからない。でも場所と時間が特定できたら、まだ生まれてない自分が、父の隣で、暗闇の中で、じっとスクリーンをみつめていたような気がした。

母が死ぬ少し前にあたしに言った「あんたがいて楽しかった」。あれを聞いたときあたしは、長年の母の呪いが解けたような気がしたのだが、その言葉をどうして母が言葉にして出せたかということも理解できた。

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「聞きたかったこと すべて聞いて
耳をすませ 目をみはりました」

 

ひとりで暮らす日々のなかで見つけた、食の楽しみやからだの大切さ。
家族や友人、親しかった人々について思うこと。
詩とことばと音楽の深いつながりとは。
歳をとることの一側面として、子どもに返ること。
ゆっくりと進化する“老い”と“死”についての思い。