1985年夏ごろ。樹さんの文章が初めて商業誌に載った記念に。るんさんは3歳(写真提供:樹さん)

母親っ子が心動かされた涙ながらの父のプレゼン

 僕が離婚したとき、るんちゃんに、父親と母親のどちらと一緒に暮らしたいかという、子どもにはつらい選択を強いてしまった。でも、「お父さんと暮らす」と言ってくれたときは、想定していなかったので、本当にびっくりしたんだ。

るん 私は母親っ子だから、100%お母さんのほうに行くと思っていたでしょう。でも覚えていないかもしれないけど、あのときお父さんは「お母さんの所へ行ったら、もう俺、るんちゃんと会えないかもしれないんだよ」ってワーワー泣いたんだよ。だから私、「わかった。じゃあお父さんと暮らす」って。そうすれば、両方と縁が繋げると思ったから。

 うーん。これはちょっと僕の公式記憶にはないなあ(笑)。でもるんちゃんが「お父さんと暮らす」と言ってくれたとき、嬉しかったのと同時に、これは大変なことになったと思った。これからは家事と仕事を両方やらなければいけないんだから。とても僕の手にあまるので、るんちゃんに「大変申し訳ないけれど、大人になっていただけますか」とお願いしたんだよね。

るん そうだったっけ。

 小1の子に「大人になってくれ」というのは過酷な要求だとはわかっていたけど、こればかりはしかたがない。そうしたら「わかりました。私は大人になりましょう」と言ってくれた。「水に落ちた犬みたいにしょげているお父さんがお願いしているんだから、ひとつ面倒を見たろう」と引っ張ってくれたのだと思うけれど、それは本当に感謝しています。

るん 私は恨んでますけど(笑)。だって、「僕と一緒に暮らそう」と泣きながらプレゼンした割には、準備不足が多かった。母親って子どもの交友関係までフォローしてくれるマネージャーみたいなところがあるけれど、お父さんはそういうわけにはいかなかった。引っ越してから東京の友達と連絡を取ろうと思っても、その子の名字がわからないから連絡できなかったり。いきなり事務所をクビにされたアイドルのような感じで、ポツンと1人にされた不安感はあったなあ。

 るんちゃんとお母さんはアイドルとマネージャーだったけれど、僕とるんちゃんはコンビを組んで仕事をしているデュオだったね。ステージが終わったら「じゃあね」と言って、それぞれのうちに帰るというイメージ。

るん 父子家庭ということでは、性的な成長の変化を相談できる相手がいないのも苦労したよ。生理に関しては、母がかなり前から具体的に教えてくれていたけど。胸が大きくなったときは、どうしても「胸当てがついている下着を買ってほしい」と言えず、ひたすら背中を曲げながら胸を隠していた。それはたまたま来てくれた伯母さんに相談できたけれどね。

 そうだった。性的なことに関しても、大変申し訳ないけれど自分でなんとかしてくださいと。そこのところは、るんちゃんが自分で知恵を出して切り抜けていってくれたんだと思います。

るん そうだったかな。