「心当たりがあるのですか」
お春が小さく息を呑み込んだ。
「ないね。でも……」
「でも?」
「薬に興を持ち、欲しがるとしたら医者か生薬屋か、そのあたりじゃなかろうかとは考えてるよ。そのあたりしか考えつかないって方が正しいかね」
お春はもう一度、さっきより深く息を吸った。それを吐き、首を心持ち傾ける。
「医者か生薬屋。でも、おゑんさん、人が一人殺されているんですよね」
「ああ、“役者の治兵衛”だったかね。あたしは直に会った覚えはないけど、自分で役者って名乗るぐらいだから、相当、いい男だったのかねえ。生きているうちに一度ぐらいは、顔を合わせてもよかったかもしれないね」
「おゑんさん、冗談を言ってる場合じゃないですよ。お医者さまや生薬屋さんが人殺しと関わりあるなんて思えません」
「そうかい」
人が人を殺す。そこに身分も職も男も女も関わりないだろう。雲の上に住まう貴人だとて地べたを這うように生きている者だとて、人を殺せるし、人に殺される。殺すべき、殺されるべき理由さえ、あればだが。
“役者の治兵衛”はどんな理由で殺されたのか。
「越冬虫の薬にしたって、まだ、これから新しく作り上げていく段取りなのでしょう。今のところ、薬そのものとして使えはしないですよね。お医者さまからすれば、まだ役に立たないってことになりませんか。それなら……」
「毒としてなら使えますの」
お春が口をつぐみ、末音を見る。
「ええ、今のままでも十分に使えますで。そうでしょう、おゑんさま」
「そうだね」
「え、でも、でも……吉原での一件の後、おゑんさん、教えてくださったじゃないですか。越冬虫は誰にでも働きが及ぶわけじゃないって。むしろ、身の内に入れても無害な人の方が多いのかもしれないって。だとしたら、薬としても毒としても使えないというのが、本当のところじゃないのですか」
束の間、末音と目を合わせる。
「そうだね。どたばたしていて、お春さんにきちんと伝えてなかったね。というか、まだ、伝えられるところまで達していないってのが、正しいかね」
「え? 何のことです」
「ある程度の量をどうやって身の内に取り込むか。そこが肝かもしれないと、末音と話していたのさ。つまり、一時に多くを取り込めば、効く者には激しく効く。それが、あの吉原での女たちの姿さ。みるみる老いさらばえて、生気を吸い取られて死に至る。ただ、効かない者には全く効かない。吉原内に越冬虫をばらまいた当人が死んじまったから、詳しくはわからないが、相当数の女たちに越冬虫を食べさせたはずさ。菓子と偽ってね。でも、あたしが知っている限りだけれど、亡くなったのは大人の女が三人。禿が一人倒れたけれど、これは手当てが早くて助かった。毒にやられたのは都合四人、それくらいのものさ」
指を四本、立ててみせる。
おゑんの目の前で、目覚めることなく亡くなった振袖新造の死顔が浮かぶ。
「一時に取り込まない……えっと、それじゃ少量を数回に分ければ、どうなるのです」
お春の視線がおゑんの指先に向けられる。おゑんはその指をゆっくりと握り込んだ。
「そこなんだよ。そういうやり方なら……何度かに分けて、相手に飲ませることができるなら、毒薬としての効き目はかなりのものになるんじゃないだろうかと末音とは話していたのさ」
お春が目を見開き、喉に手を当てた。そこに、何かが痞(つか)えたかのように手先を上下させる。
「……それは、外れがないという意味ですか。狙った相手を必ず殺せると……」
「さて、そこまでは言い切れないね。けど、越冬虫には、毒とその毒を消す――そう毒消しの効能もあると末音が突き止めたんだよ。ただ、その毒消しは幾度も飲み続ければ効かなくなる。そこも、確かなようだね」
「幾度もって……どれくらいですか」
「そこまでは、わからないね。おそらく、相手の体躯とか年齢とかによって違ってくるんじゃないだろうか。そう……“じゃないだろうか”ばかりさ。ほんとに、ほとんど何もわかってないんだよ」
弱音ではなく、事実を告げる。
「この厄介な毒を何とかねじ伏せなきゃいけないのさ。上手く取り除かなくちゃね」
「たいへんなお仕事ですね」
「一生ものさ」
わざと、蓮っ葉な物言いをしてみる。「ほんとにねえ」と、お春が相槌を打った。
「お春さん、他人事(ひとごと)じゃありませぬで」
末音の口調がやや硬くなる。
「わたしが亡(の)うなったら、越冬虫を含め薬のことは全て、お任せせねばなりませんで。その心づもりでいてくだされよ」
お春が腰を浮かした。まじまじと末音を見詰める。末音が続ける。
「わたしに代わって薬草畑のことから、おゑんさまと二人で新しい薬を創り出す……」
「まっ、待ってください。止めてくださいな、末音さん。あたしに末音さんの代わりができるわけないでしょう。このところやっと薬研が使えるようになったばかりなのに。薬草のこともほとんど知らなくて……。は、畑を耕すぐらいなら何とかやれます。けれど、新しく薬を創り出すなんて、そんなの無理です。それに、それに、亡くなったらとか、あっさり言わないでください。末音さんは、いつまでもお元気ですよ」
「お春さん、わたしは妖怪じゃありませぬからの。ただの人です。人は老いて、いつか死にますが。そして、わたしがおゑんさまやお春さんより、ずっと歳を取っているのは事実でございましょう。なにしろ、おゑんさまの襁褓(むつき)を替え、背負うて守りをしたのですからの」
「末音、そんな大昔の話を引っ張り出さないでおくれ。おまえは妖怪並みにしぶといから、長生きはするさ。だからね、お春さん」
「はい」
「末音が生きて、しゃんとしているうちに学べることは全て学んでおくんだ。一つも取りこぼしがないようにね。末音が言ったように、越冬虫も含めきっちり引き継ぐ。その覚悟はしておいておくれ」
「おゑんさん……」
「おまえさんだって、もとより、そのつもりだろ。いつまでも、末音やあたしの助手でいる気はないよね。あたしはいいさ。末音と違って、まだ十分に先があるからね。教えられることは、ゆっくりじっくり、教えもできる。だけど、末音はそこまでゆとりはないってさ。だから今以上に必死で、末音から薬草や調合のことを学ぶんだね」
「はい」
短い答えだったが、ついさっき見せた戸惑いはもうない。
「どうですかの、おゑんさまのように無茶ばかりなさるお方が、この先、生き永らえることができるのかどうか。やれやれ、心配は尽きませぬなあ」
「あまり心配しているようには見えないね」
おゑんは自分のものも含め、空になった三つの湯呑に珍陀酒を注いだ。
「偉そうに話したけれど、越冬虫がこの件と結び付いているなんて、とても言い切れないんだよ。あたしが、それしか思い浮かばないってだけのことさ。とんでもなく的外れなとこをうろついているだけって気もしている」
正直に打ち明ける。末音とお春を相手に見栄を張っても意味がない。
「まあ、あまりに謎が多過ぎますからね。甲三郎さんが調べておいでなら、何かしら新しい報せを持ってきてくださるでしょう。それを待って、また考えるしかありませんよ」
お春の一言に頷く。
その通りだ。じたばたしても、どうしようもない。そういうところに、今はいる。
甲三郎さんを待つしかないか。
「わかったよ。じゃあ、この話はここまでにしようか。ここからは……」
「え、他にも何かあるのですか」
お春の頬から顎にかけての線が、少し強張る。
「ここからは、ただの酒盛りさ」
「まっ、おゑんさんたら。でも、もうお酒がありませんよ。珍陀酒、飲み干しちゃいました」
「あら、そうだね。お春さんが飲み過ぎなんだよ」
「また、すぐ人のせいにして」
お春の軽やかな笑い声が夜の闇と静寂に溶けていった。
(この章、続く)












