「まむし」と呼ばれた男の最期

その戦いの最中、道三は脛を薙ぎ払われた後に、首を切り落とされた。その道三の首に、一番槍をめぐる争いが起こり、証拠として鼻をそぎ落とされてしまった。「まむし」と呼ばれた男の最期はこのように無惨な姿だったようだ。

その後、義龍の息子・龍興が稲葉山城の城主になったが、道三の娘を妻にしていた信長によって、舅(しゅうと)の仇という大義名分のもとに滅ぼされた。

(写真提供:Photo AC)

信長は稲葉山城を「岐阜城」と改名し、天下人を志す武将の城に相応しく絢爛豪華に改修し、気に入っていたらしいが、本能寺で非業の死を遂げた。

信長から岐阜城を譲られていた嫡男信忠も、父・信長と共に本能寺の変で亡くなり、その後、信長の三男・信孝、池田恒興の子・元助(之助)、織田秀信などが次々と城主になったが、いずれも短期間に終わっている。