昭和36年にチーム名が阪神タイガースに変わると、歌詞の最後のリフレインで「オウ、オウ、オウ、オウ、オーサカタイガース」のところが、「阪神タイガース」へと変更された。

古関の長男正裕によれば、昭和60年(1985年)に阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝し、さらに初制覇することになる日本シリーズでそれがよく流されたときには「父も忘れていたくらいです」という。

昭和6年11月2日、米国野球選手歓迎会の場で、新交響楽団(NHK交響楽団の前身)を指揮して、「日米野球行進曲」を演奏。古関にとって、オーケストラを指揮する初の経験となった。自伝によると、燕尾服で指揮と言われたが、仕立てても間に合わないということで叔父のものを借りたという

したがって、翌61年1月のインタビューで古関が「大阪タイガースの歌はボクの曲の中でもとりわけ気に入ってるんです。今聞いても若々しく、力強い気分になれるでしょ」というのは、リップサービスの感じがする。古関自身が忘れていた「大阪タイガースの歌」は、半世紀の時を経て認知されるようになったのである。

一方で古関は、阪神のライバル、読売巨人軍の応援歌も作曲している。昭和14年2月に作られた「野球の王者」である。古関に作曲の依頼がきたのは、「紺碧の空」と「露営の歌」を作曲し、「その豪快勇壮な作曲」方法を買われたことによる。

伊藤久男(山崎育三郎さん演じる佐藤久志のモデル)が吹き込んだ「野球の王者」は、昭和14年3月に発売された。新聞では「王者にふさはし、巨人軍の歌、古関氏の見事な作曲」と題し、「古関氏の独創的天分が遺憾なく発揮されてゐる」と高評価している。

「野球の王者」は忘れられてしまったが、今でも歌われている「巨人軍の歌」(歌い出しから「闘魂こめて」の愛称で知られている)も古関による作曲である。「巨人軍の歌」は、昭和38年に読売巨人軍の創設30周年を記念して作られた。


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