あなたの欲しい事務員って家政婦のこと?

2つ目は貿易とレスランの経営をしている会社の事務職で、勤務地はオーストラリアのシドニーだった。好きな英語を仕事に生かせ、海外で暮らせることに魅力を感じた。

面接の場に現れたのは、40代半ばと思しき男性だった。ポロシャツにチノパンというラフな出で立ちで、眼鏡をかけていることと、ひょろりと伸びた長い手足が、どことなくカトンボを想わせた。出身は仙台だが、オーストラリアに永住権を持っていると話していた。

スタッフには現地女性もいるらしかったが、人の機微を解さないため、大和撫子が欲しいと言った。採用になれば渡航チケットは会社が持ち、住居も完備という好条件のため、弾む思いで私は訊いた。

「住居は、コンドミニアムですか?」
「違うよ。向こうに自宅を購入してあるから、そこの一室に住んでもらう」

オーストラリア旅行に行った際、平屋が多かったことが脳裏に浮かび、きっとあんな感じなのだろうとイメージを広げた。しかし、「一室」という語が引っかかる。部屋に鍵はついているのか。家に戻っても仕事をさせられるのではないのだろうか。奥さんはどうだろう。いたとしても、襲われる心配はないのだろうか。

そんな不安には気付かぬようで、社長は、能天気に語り続けた。
「僕はね、箸より重いものは持ったことがないの。いや、持たない主義だから。なので、出張の時に荷物を持ってもらうことになるけど、大丈夫かね」
向こうの女性が難色を示すのは、こういう身勝手なところに違いないと思った。

「でね、僕は3ヵ月前に離婚したんだけど、それですごく困っているんだよ」
え?独身?危険度は一気にマックスに達する。
「家の掃除や洗濯もしてほしいんだが……」
「それって、事務員というより家政婦ですよね」
私も軽く切り返す。
「不満かい?住居費、光熱費、食費込みだよ」

そうなるとお金はかなり貯まる。それを足がかりに別なところに移ることも出来る。しかし、それまでカトンボのパンツは洗わなければならない。
「今まで何でもしてもらっていたから、本当に困っているんだよ」
社長は年甲斐もなく、お坊ちゃま風を吹かし続けた。

結局私は、辞退するとも、お願いしますとも言わないまま、「お時間、ありがとうございました」とだけ告げ、退室をした。不安はあったが、採用されれば行くかもしれないと思ったからだ。それだけ捨てがたいチャンスにも思えたのである。

数日後、社長から電話があった。相変わらず軽いノリだった。
「あ、面接の件だけど、ほかにいい人が見つかったから、不採用ということで、よろしくね」
渡航のチャンスは逃したものの、身の危険からは遠ざかったと思い、ほっと胸をなでおろしたのである。