遠藤綾子さん・伸一さん夫妻と、長女・花ちゃん(左)、次女・奏ちゃん(中央)、長男・侃太君(右)の家族写真。自宅が津波で流され、家族全員で撮った写真はこの一枚だけが手元に残った(写真提供:綾子さん)

あの日、木工職人の夫・伸一さんは地震発生後すぐに小学校へ向かい、当時10歳の侃太(かんた)君と8歳の奏(かな)ちゃんを連れ帰った。母親と長女の花ちゃん(当時13歳)がいた自宅の離れに全員を残し、自分は親戚の家の様子を見に出かけた。その後、大津波が実家と自宅をのみ込んだのだ。

内陸の職場にいた綾子さんが、避難所で合流したのは2日後。床に花ちゃんと奏ちゃんの遺体が置かれ、数日後には侃太君も発見された。

「頭が真っ白で、当時の記憶はあいまい。ただ、子どもたちが死んで自分たちが生き残るなんて! と夫にも自分にも、怒りに似た感情だけがありました」

綾子さんはその後、病院の窓口で1年以上、「ロボットのように」働いた。忙しく動き回り、「無」になるしかなかったのだ。

一方、伸一さんは自宅跡を整備し、地域の人が集まれる場所をつくり始める。最初は夫の行動の意味がまったく理解できなかったという綾子さんだが、自分の体が限界を迎え、休むことを余儀なくされた時、ようやく彼の苦しみに気づいたと話す。

「子どもたちを死なせたのは自分だと、自らを責め続けている。私よりもつらいのは夫だとわかったんです。それから少しずつ、寄り添えるようになりました」

以後、夫妻は仕事をしながら、地域のためのさまざまな活動を続けてきたのだ。