死が特別なものではない被災地

思えば、私が移住後まもなく取材をした石巻市立大川小学校にも、大きな変化があった。ここは、前述の門脇小学校とは対照的に、学校管理下で児童と教職員あわせて84名もの犠牲者(うち児童4名は行方不明)を出した小学校である。海からは約4キロ離れているが、近くを流れる北上川を津波が遡上、一帯をのみ込んだ。

取材を始めた頃は、遺族の一部が校庭に立ち、「なぜ学校は子どもたちを裏山に避難させなかったのか。そうすれば全員助かったはずだ」と、怒りをあらわに訴えていた。大川小では巨大地震発生後1時間近く、児童を校庭に待機させたまま、有効な避難行動が取られなかった。

理由を知りたいという、遺族の当然の問いに対し、行政の説明は二転三転。証言や証拠の隠ぺいまで疑われる事態となり、遺族は強い危機感を抱いて裁判に踏み切っていた。

知れば知るほど、遺族の怒りはもっともだと思った。ジャーナリストや弁護士なども県外から集まり、熱心に遺族の話に耳を傾ける。しかし地元では、「天災だから仕方がない」という空気が根強く、教育現場のあり方を問う遺族の訴えの真意が、十分に理解されていないと感じる場面も少なくなかった。

だからこそ19年、最高裁が二審判決を支持し、市と県の上告を棄却したことで確定した遺族側の勝訴は、大きな意味をもつ。子どもの命を守る備えを怠った教育現場の「過失」と「怠慢」を明確に断罪し、「天災」ではなく「人災」であると認めたのだ。