息子の音楽の才能を伸ばすために

こうした家での過ごし方は、大正5年(1916)に福島県師範附属小学校へ入学してからも変わらなかった。福島裁判所の判事大島俊太郎に嫁いだ叔母古関マス(三郎次の妹)は、長唄や義太夫を得意としていた。古関は叔母の官舎に遊びに行くと、三味線を聞いたり、従姉の琴を弾いたりした。

5歳の頃の写真(写真提供:古関正裕さん)
古関の母、ヒサ(写真提供:古関正裕さん)

小学校3年生のとき、音楽好きな古関を見た母ヒサは、3オクターブくらい鍵盤のある卓上の玩具ピアノを買った。古関によれば、当時の福島市内でピアノは福島師範学校に一台あるだけで、他の学校はすべてオルガンであり、オルガンを持っている家庭はなかったという。息子の音楽の才能を伸ばすため、好きなことをさせたのは先見の明であった。

3年生から6年生のときの担任遠藤喜美治(きみじ/森山直太朗さん演じる藤堂清晴のモデル)は国語と音楽が専攻で、作文の時間には童謡を作らせ、音楽の時間にはその優秀な童謡に曲をつけさせたり、遠藤が作曲した曲を歌ったりした。古関は、「私の作曲の芽ばえには、この先生の影響が大きかったのである」と述べている。

古関は童謡の作曲が楽しくてしかたなかった。古関はクラスでおとなしい存在であったが、作曲の時間になるとクラスメイトが作詞を持ってくるようになり、他人の分まで曲をつけた。

古関夫妻の長男・古関正裕さんの著書『君はるか 古関裕而と金子の恋』集英社インターナショナル