玩具ピアノとハーモニカ
学校の授業だけでは物足りなくなり、竹久夢二の絵が表紙となった市販のセノオ楽譜を買うようになる。家ではピアノを夢中で弾いた。「好きこそものの上手なれ」の言葉どおり、買ってきた楽譜を手探りで弾いているうちに、音符や記号の意味が理解できるようになった。
大正9年2月11日の紀元節(現在の建国記念の日)の式典が終わってから開催された学校の合同音楽会では、5年生が歌う「漁業船」のピアノ伴奏を任されている。6年生のときには「白虎隊」を伴奏し、それを級友たちが羽織袴姿で歌った。
5年生の頃からハーモニカが流行ると、ハーモニカ独習書についていた本譜と略譜の対照表を見て勉強し、セノオ楽譜をハーモニカ譜になおして吹いたりした。
生まれて初めてオペラを見たのもこの頃であった。福島市に浅草オペラの田谷力三、堀田金星、沢モリノが巡業に来ており、その肉声や踊りに魅せられた。
さっそく「コルネヴィユの鐘」「アルカンタラの医師」「カルメン」などの楽譜を購入し、ピアノで弾いたり、ハーモニカで吹いたりした。大正11年3月に小学校を卒業するときには、楽譜が自由に読めるだけでなく、自ら作った曲を譜面にすることもできるようになった。
古関は音楽に関して天性の才能の持ち主であった。それに加えて裕福な家庭で親からの愛情を十分に受け、彼は才能を伸ばしたのである。
『エール』モデルの作曲家の評伝、好評発売中
高校野球大会歌「栄冠は君に輝く」、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、阪神タイガースの「六甲おろし」ーーー戦前から数々のメロディを残す作曲者の人生を追った一冊。