右:古関裕而(写真提供:古関裕而の長男・古関正裕さん)/左:三浦環(中央公論新社所蔵)
NHK連続テレビ小説『エール』で、窪田正孝さんが演じる主人公・古山裕一のモデルは、名作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)だ。先週から今週にかけては、レコード会社と契約しつつも曲が売れない苦悩、そして「船頭可愛いや」のヒットまでを描いた。『エール』の風俗考証をつとめ、遺族にも取材して古関の評伝を書いた刑部芳則さん(日本大学准教授)によると、「船頭可愛いや」のヒットを支えた歌手は、三浦環(柴咲コウさん演じる双浦環のモデル)ではないという。

※本稿は、評伝『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)の一部を、再編集したものです

「そりゃ何かの間違いだって」

昭和5年(1930)に古関が結んだ専属契約は、月給200円を印税の前払いの形で支払うというものであった。これを聞いた妻・金子(二階堂ふみさん演じる古山音のモデル)は「そりゃ何かの間違いだって」と驚いている。昭和6年の小学校教員が月給45円から55円だから、驚くのも無理はない。

『古関裕而 流行作曲家と激動の昭和』(刑部芳則・著/中公新書)※電子版もあり

コロムビアの社員と違って毎日出勤せず、用があるときにだけ会社に行けばよかった。しかし、200円という高額な月給を受け取っている以上、古関はヒット曲を生み出さなければならなかった。強いプレッシャーを感じているうちに年は暮れ、昭和6年を迎えた。

専属契約後の一曲目は、昭和6年5月に郷里を題材にした「福島行進曲」と決まった。ライバル会社のビクターは、昭和4年に佐藤千夜子の「東京行進曲」(作詞・西条八十、作曲・中山晋平)で22万9200枚というヒットを出していた。全国各地の地名をつけた小唄や行進曲など、新民謡と呼ばれるジャンルがブームだったのだ。

誘われて流行歌の作詞家へ

この流行に乗って古関が上京前に作曲したのが「福島行進曲」である。作詞の野村俊夫(中村蒼演じる村野鉄男のモデル)は、福島民友新聞社の記者をしていたが、古関に誘われて流行歌の作詞家へと転向する。

古関より5歳年上の野村は、少年時代によく遊んだ仲である。生家の魚屋は、古関が小学校に入学するまで呉服店の向かいにあった。野村は福島民友新聞社に大正15年(1926年)に入社。古関は福島県内の川俣銀行に勤務していたころ、『福島民友新聞』の「コドモのページ」に寄せられる童謡の詩に曲をつけて紙面に発表する仕事もしている。野村との関係から古関はその仕事をするようになり、社員のような扱いを受けていた。

「福島行進曲」は リズムを刻む伴奏が曲調を決めている。この曲の裏面には「福島小夜曲(セレナーデ)」を入れることを希望した。昭和4年に福島で竹久夢二展が開かれたとき、「福島夜曲」と題する12の民謡調の歌に水墨彩色の絵が添えてあったものを目にし、それに感動して作曲した。ポルタメントのような滑らかな歌唱が際立つ曲である。