すんみ デモはある人の呼びかけから始まりました。その人はツイッターに「江南駅殺人事件公論化」というアカウントを作成し、「女性暴力・殺害について、これからは社会が応えるべき」と訴え、「江南駅10番出口で被害者を追悼しよう」と提案したんです。賛同した女性たちが大勢集まり、それを見た男性たちが「何があったんだ」と加わっていき、その場でさまざまな議論が行われるようになりました。

 

声を上げると嫌われるんじゃないか

すんみ 『私たちには~』の著者のイ・ミンギョンさんは、ニュースで事件を知ったその日のうちに、女性差別的な経験が簡単に“なかったこと”にされる状況ですぐに使える「対話マニュアル」本を書こうと決め、フェイスブックで編集者や校正者を募ったんです。資金集めにはクラウドファンディングを活用し、目標額の20倍が集まりました。

スー それはすごい。

酒井 インターネットが出てきてからのフェミニズムの変化は、日本でも大きい。これまで何回もフェミニズムの盛り上がりはありましたが、60~70年代のウーマン・リブは、行動力がある人、打たれることを厭わない人が運動に加わっていた印象があります。その後、「セクハラ」が新語・流行語大賞の候補に入ってきたのが89年。でもそこから30年近く、言葉は知られても、「あなたのしていることは差別です」と突きつけるまでには至らなかったんです。

スー それもやっぱりさっきの同調圧力によって、問題に対して声を上げにくい背景があったからだと思う。声を上げたら変わっていると思われるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、とか。私も無知だったときには、「フェミニスト=過激に権利を主張する人」というざっくりとした印象しかなかったですから。

酒井 声を上げたらモテないんじゃないかとか、空気が読めないと思われるんじゃないか、という心配も。でも、ネットのおかげでようやく最近、普通の女性たちも具体的な事例をあげられるようになってきました。

「同調圧力によって、問題に対して声を上げにくい背景があったからだと思う」(スーさん)