忘れられた「飛騨古川小唄」
朝ドラ「エール」の主人公のモデルとして、古関裕而が話題となっている。しかし、全国各地に伝わる彼の作品の中には、埋もれたものも数多く存在する。
筆者は長年にわたって、昭和流行歌の研究をしてきた。とくに古関裕而のファンで、連続テレビ小説『エール』で風俗考証を務めていることもあり、このところ古関作品についての調査に力を入れている。最近では、豊橋コンベンション協会や飛騨市および飛騨市観光協会に作品にかんする史料を問い合わせたところ、関係者もその存在を知らなかったようで、愛知県豊橋市では「豊橋観光音頭」「夢の豊橋」、岐阜県飛騨市では「飛騨古川小唄」が再発見されたと報じられた。
戦後間もない昭和25年(1950)1月に古川町俚謡制定委員会が設置された。「飛騨古川小唄」は、「俚謡(りよう)を通じ古川町の観光及び産業・文化の宣伝をはかる」という目的から生まれた曲である。委員会は新聞を通して全国から歌詞を募集し、翌2月には267点の歌詞が集まった。その結果、佳作1席となった岐阜市在住の峰陽之助の作品に曲がつけられることになった。
当初は、流行歌界の王様・古賀政男に依頼する予定であった。だが、理由ははっきりしないが古賀の作曲は実現せず、代わりに古関が務めることとなった。4月11日に東京赤坂のコロムビアレコードで録音され、5月1日に飛騨市の高山会館、2日に古川劇場で発表会が開催された。
「飛騨古川小唄」は全国から歌詞を公募して誕生したが、レコードは全国発売されなかった。その証拠にコロムビアでは飛騨市からの注文200枚しか製造していない。この手の依頼盤による新民謡は、当初から地元でしか知られない存在である。しかも、誕生から時間が経つにつれて、地元でも忘れられていく場合が多い。「飛騨古川小唄」もその一つであった。