写真:ヤマザキマリ
日本とイタリアを往復するヤマザキさん。日本に愛猫を連れて行くことに決めたものの、その前には数々の壁が立ちはだかり…

愛猫とともに日本へ

アメリカから夫の故郷であるイタリアに戻ってきて5年になるが、去年から日本とイタリアを往復する回数を減らすことにした。業務上の事情もあるが、体力がだんだん追いつかなくなってきたのが理由だ。

この機に、イタリアから飼い猫のベレンを日本へ連れてくることにした。ベレンは私が不在でも夫に可愛がられ、長期の留守もそれなりにやり過ごしていたのだが、去年の春、夫がもらってきた仔猫との相性がすこぶる悪く、あれこれ問題が発生するようになった。

どうせ長く日本にいることになるのだから、ベレンも日本に連れていったらどうか、手続きはこちらで進めておくから、と私は夫に説得された。ポルトガルで生まれ、その後はアメリカ大陸から欧州へと、我々と一緒に移動をしてきた過去のある猫である。きっと日本に行くのだってへっちゃらだよ、と夫は楽観的だった。

ところが、そんな提案をした夫自身が途中で音を上げてしまうほど、日本へ動物を連れ込むための検疫の手続きというのはハードルが高かった。

アメリカやイタリアに入国するときは、獣医師の出してくれるワクチン接種証明を見せればそれで良かった。ところが日本の検疫はそんな単純な手続きだけでは済まない。ネットで調べると日本は世界で一番厳しい検疫ともあり、入国するときに提示した書類に不備があると、動物は到着した空港内の動物収容施設で最長180日間滞留させられることになるという。

それでも夫は半年かけて、ベレンの日本入国準備のために全力で奔走した。

懸命に準備を整え、いよいよ猫を連れて日本へ発つ日がやってきた。数ヶ月はイタリアに戻らないつもりだから、スーツケースも書籍やら衣類やらでいつもより重い、かなり大掛かりな移動である。ところが出発の間際になって夫が、私の部屋にある絨毯を指差し、「それも持っていきなよ」と言う。かつて私がチベットへ行ったときに担いで持って帰ってきたヤクの毛で織ったもので、ベレンがとても気に入っていた。

「冗談でしょ、無理だよ!」と言うと、「無理なものか」と呆れた表情で私を見る夫。夫は半年間猫の出国の準備で散々な思いをしてきた後だったので、私が絨毯を丸めて日本に持っていくことくらい、ほんのハナクソ程度にしか捉えていなかった。

夫は何も言わずに絨毯を丸めて私に抱えさせた。一見、家財道具一式を担いだ移民のような風情である。でも自分の見てくれなど気にしている場合ではなかった。飛行機で12時間、暴れる猫を宥(なだ)め続けて一睡もできなかった私は、成田に到着すると最後の体力を振り絞って検疫カウンターへ行き、準備した書類を提出した。時間をかけて書類に目を通した若い係官は黙って私のほうを振り向くと、ひとことこう言った。

「完璧です」

ただちに夫にそれを報告すると、電話の向こうでおかしなくらい喜んでいる。苦労が報われて何よりだったが、こんなことならまた猫連れ引っ越しもアリじゃないか、などと言い出しかねない様子だった。苦労というのは積めば積むほど無感覚になるものなのである。くわばらくわばら。