「きちんと食べているか」
「もう二度と、飢えた子どもの顔を見たくない」。これは、父が参議院議員選挙に立候補した際のスローガンだ。
思えば父は生涯、食べ物にこだわっていたと思う。
帰宅した父の手には、いつも家族のために美味しいお土産があった。
神楽坂の旅館でカンヅメになれば、「五十番」の肉まん、銀座方面なら「千疋屋」のフルーツサンド、講演先で見つけた駅弁。
そのくせ、それらを贅沢に食べ散らかす幼い私を憎んだ、と記しているのを読んだこともある。飢えて死んだ妹には、決して与えることのできなかったご馳走たち。
はたまた20歳前後、宝塚歌劇団に在籍し、一人暮らしをしていた頃のこと。父は何の前触れもなしに、夜、私の部屋のインターホンを鳴らす。
ドアを開けるとそこにはいつも、両手にビニール袋をいっぱい提げた父が立っていた。
中身はその時によって違う。お菓子だったりインスタントラーメンだったり。生のうどんすきセットが入っていた時は、一日持ち歩いた後らしくすでに匂っていて、とても口にできるものじゃなかった。
何しろ、きちんと食べているか、食べ物の備蓄があるかが心配らしい。シャイな父は、荷物を手渡すとすぐに、待たせていたタクシーに乗り込み帰ってしまう。
突然やって来られた私もつい邪慳にして、今から思えばもっと優しいやり取りがあってもよかったのだ。
私が結婚し出産した時もそうだった。
初孫を抱き再び、はかなく死んだ幼な子のイメージが蘇ったのか。「高価な洋服やおもちゃを買うくらいなら、子どもの食材にお金を払いなさい。きちんとした農業をやるには金がかかるんだ」。ファストフードなんてもってのほか、子どもの口に入るものは全て親の責任、とうるさくお説教。
そしてこれまた事前連絡なく、ふらりと赤ん坊の顔を見にやって来る。照れ隠しなのかたいてい酔っ払っているので、帰り際、
「ママには言うなよ」
と釘をさすのを忘れない。